真剣に家系探求

何かの縁で北海道に集まってきた祖先の歴史を少しづつ紐解いていきます。

青森県下北郡田名部村→鳥取村【山田家】

今回は嫁の実家、山田家です。

山田家に関しては、嫁の父も元々はどこから来たのかは知らなかったようで、「山田家のルーツを調べてみたい」と言ってみたところ、わりと乗り気なのでした。

山田家はわりと簡単にわかりました。嫁の祖父が暮らしていた鳥取村というのは現在の釧路市でしたので、釧路市だけの戸籍謄本でルーツは判明しました。

嫁の高祖父にあたる山田菊松(1875~1934)が、青森県下北郡田名部村大字関根(現:むつ市関根)より大正7(1916)年の届出で一族で釧路郡鳥取村に渡ってきたのが北海道での歴史の始まりでした。

その後、図書館で土地の文献をあさってみたところ、地区の歴史が綴られた一冊の本に菊松の弟一家のことが記載されておりまして、そちらには「来道:明治38(1905)年10月」とありました。

一族が一緒に入植したと考えると、どうやら山田家がこの北の地に入ってから100年あまりの歴史が築かれていたようです。嫁の祖父にも教えてあげたところ、当然知っていました。順番を間違えたようです(;・∀・)

戸籍に記載されている菊松の父欄には「畑中由蔵」とありまして、その後にむつ市より取得した菊松の義兄・山田留蔵(1868~1930)戸籍の菊松の父欄には、「父善四郎離別養子由蔵長男」とありました。離別養子?亡くなったのか離縁したかで山田家の人間ではなくなっているようですが、由蔵についてはまったく謎です。おそらく一時的には「山田由蔵」ではあったと思うのですが・・・。

その畑中由蔵の養父・山田善四郎(1824~1897)のそのまた父・三之亟が、山田家の確認できる最古でした。山田姓はどのような由来か?いつから関根村に住んでいたか?は読み取れません。

田名部関根での山田家は、血縁ではないのかもしれませんが、旧土地台帳を見る限り少なくとも昭和7(1932)年くらいまでは山田姓の方が確認できましたので、現在も留蔵さんの長男・善太郎さんの子孫の方が暮らしているのではないかと期待しています。

嫁の高祖父・菊松は、善四郎にとっては養子である由蔵の子。その後に実子となる男子が生まれたり、菊松の母・みゑ(1856~?)も再婚(婿養子・鳥山丑松を迎える)したこともあり、想像するだに関根には居づらかったのではないでしょうか?(勝手な想像ですが・・・。)一家(妻と1男1女。および母・みゑ夫妻と3男。)で北海道に渡りました。

鳥取村では農業を営んでいましたが、劣悪な環境の中での開拓だったようです。その後、昭和11~14(1936~39)年頃にかけて、菊松、菊松の妻・をれ(1876~1838)、菊松の長男で妻の曽祖父にあたる山田綱吉(1904~1939)、綱吉の妻・ハルノ(1910~1939)が結核などの病に次々と倒れ、この世を去りました。綱吉の長男であった祖父は当時10歳そこそこでしたので、両親を失ったあとは、兄妹とともに親戚を転々としたりとたいへん苦労したそうです。

その苦労人の祖父は、初孫の婿の私をとても良くしてくれていたのですが・・・、今年1月に78歳で急逝しました。私が知りたかった昔のことが、耳が遠くてなかなか聞けなかったりしましたが、一人だけでも曾孫を見せてあげることができたのが、せめてもの孝行だったと思います。


<山田家直系系譜>
山田三之亟→二男:山田善四郎→養子:畑中由蔵→長男:山田菊松→長男:山田綱吉→長男:祖父・・・
家紋:丸に木瓜

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ただし、菊松の義弟の家紋は丸に三つ柏

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(父・鳥山丑松家の紋?)