真剣に家系探求

何かの縁で北海道に集まってきた祖先の歴史を少しづつ紐解いていきます。

?→落部村【髙谷家】

今回で北海道にやってきた家系の紹介が最後となりますが、嫁の母方の曾祖母の父および、嫁の母方の高祖母の実家・髙谷家です。

髙谷家についてはどこからやってきたのかはまったく不明ですが、相木家の際にも引用させていただいた北方資料データベースの落部村書類中に以下の記載があります。

渡島国茅部郡落部村支野田追耕地開墾年の限書上 ・第7号 明治7年4月開墾 高谷萬兵衛」

少なくとも明治7年には髙谷萬兵衛という人が落部で暮らしていたようなのですが、それが嫁の高祖母・森井タケ(1845~1922)の父・髙谷萬兵衛なのか、それともその息子(タケの兄か弟)の萬兵衛なのか・・・少なくともさらにその息子までの3代は萬兵衛を名乗っているようです。

また、曾祖母・森井ユキ(1886~1973)の父・相木萬九郎(1848~1926)の実家も髙谷なのですが、その父の名は髙谷萬蔵といいます。萬兵衛と萬蔵・・・。兄弟かもしれませんが確証はありません。

高祖母・タケは、最初に髙谷重太郎という方と家庭をもっていたようですが、その重太郎が元々髙谷の人間なのか、それとも婿養子なのかは判別できませんでした。

重太郎の死後、曾祖父・森井半左エ門と結婚し、嫁の母の家系が誕生しますが、最終的に高祖母・タケは森井家の子供が独立・移住した後、夫・半左エ門とともに重太郎との間に授かった長男・髙谷福松(1864~1908)、福松の死後は二男・髙谷玉蔵(1875~?)の一家と同居していたようです。

髙谷家に関しての情報はこれで尽きました。この家だけがどこから北海道に来たのかはわかりませんでした。遠い祖先のため、これからも手がかりをつかめるかどうか・・・。


<髙谷家直系系譜>
髙谷萬兵衛→髙谷タケ(森井タケ)・・・および
髙谷萬蔵→長男:髙谷萬九郎(相木萬九郎)・・・。
家紋:不明


7/23追記:帰省の際に八雲町東野(旧:落部村野田追)に立ち寄り、雨のぱらつく中に墓地を廻ったところ、髙谷家の分家の方のお墓を見つけました。残念ながら家紋以外には遡ることができる情報などはありませんでしたが、とても感慨深かったです。

ちなみに家紋は「丸に梅鉢」でした。 

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