真剣に家系探求

何かの縁で北海道に集まってきた祖先の歴史を少しづつ紐解いていきます。

東京府北多摩郡田無町【新倉家】

今回は母方の高祖父の実家、新倉家です。

高祖父・平野儀三郎(1866~1939)は、慶応2年に新倉治兵衛・フジの二男として誕生しました。出生地は不詳ですが、婚姻時の父・治兵衛の戸籍住所は神奈川県北多摩郡田無町(現:東京都西東京市田無)ですので、変わっていないなら当時は幕府領田無村のようです。

儀三郎は明治16(1883)年、16歳のときに埼玉県新座郡小榑村の平野丑松(1827~1903)の長女・いち(1863~1953)の婿養子として平野家に入り、翌年に平野家の家督を相続。同年、17歳で長男・平野留五郎(曾祖父:1884~1937)が誕生します。また、戸籍には「明治27(1894)年12月9日失踪~明治28(1895)年2月17日復帰」(儀三郎28歳時)の記載があり、何があったのか気になるところです。

その後、明治34(1901)年頃に一家で北海道に渡り、道南・瀬棚~利別~オホーツク・斜里~樺太と移りますが、昭和12(1937)年に樺太名好郡恵須取町で長男・留五郎に先立たれ、儀三郎もその2年後に72歳で波乱に富んだ人生の幕を下ろしました。

祖父曰く、平野家の家紋は格が低いから・・・と言って新倉家の家紋と使い分けていたようで、また祖母曰く、儀三郎の実家は「新倉大臣」と呼ばれているほどの家だったそうです。インターネットで昔の田無を調べてみると、確かに新倉という名が散見されますが、どのような関係があるかは不明です。


<新倉家直系系譜>
新倉治兵衛→二男:新倉儀三郎(平野儀三郎)・・・。
家紋:丸に並び矢

f:id:dotouttan:20140519065618g:plain