真剣に家系探求

何かの縁で北海道に集まってきた祖先の歴史を少しづつ紐解いていきます。

菊地家のご先祖をさがす手紙

兼ねてより考えていたことを実行しました。わが菊地家のルーツを探す手がかりを求めて、矢祭の菊地・菊池さんに手紙を出したのです。とても勇気が要りましたが・・・。

電話帳を元に、ご先祖が暮らしていた(と思われる)地域の方々を絞り、ここまでの説明と簡単な家系図とアンケート、返信用の封筒に切手を貼って同封したものを9通、お祈りしながらポストに投函しました。

その後、そのうちの1件の方からお電話をいただきました。残念ながらあまりにも昔のことでわからないというお答えでしたが、このご時勢にわざわざ電話を下さり、とても嬉しく思いました。また、その方は「菊池」さんであり、字が違うねぇ・・・。といわれましたが、家紋は同じ「丸に違い鷹の羽」であるようでした。「どうやってここまで調べたの?」とも質問されたりもしましたが、突然こんな手紙を出した非礼を謝ってから失礼させていただきました。

電話で初めて矢祭の方とお話させていただいたのですが、ずいぶんお国なまりがある地域なのだと思いました。私もきっとなまっているのでしょうが・・・。

また、その後に1通ご返事が届いたのですが、返信用の封筒に相手の方のお名前が無く、どなたからのご回答かわからずじまいでした。もし次に手紙を出すときは判るようにしておかないと!お礼もできないですし・・・。

その回答には、「字が違うから先祖は違う」とのお答えが書いておりました。いまでこそ私は「菊地」ですが、もとを辿ると祖先は「菊池友輔」(たぶん1700年代後半の人物)であります。ただ、ずいぶん昔の方なので、そのお名前が伝わっていなければ、もし本家の方だったとしてもおそらく判らないかな・・・?とは思っております。

しかし、もしかすると私が思っている以上にこの地域では「菊地」と「菊池」の間には溝があるのでは?と思い始めてきました。電話帳の件数を元に比較してみると矢祭全体では「菊池」6:1「菊地」という比率ですが、関岡・東舘に絞ると「菊池」44:1「菊地」という圧倒的な比率となっているのも何か不思議なものを感じます。あくまでも電話帳に限った話ですが・・・。

矢祭のきくちさん諸氏には大変ご迷惑をおかけしております。いまのところ空振りに終わっていますが、まだ希望は捨てていません!