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真剣に家系探求

何かの縁で北海道に集まってきた祖先の歴史を少しづつ紐解いていきます。

総本家からのお便り【山田家・畑中家・舘家】

家系

昨年の夏、嫁の祖先が渡道する前に居た、青森県むつ市の山田家にお手紙をしました。 そして、秋口にご返事を頂きました。今回はそのお話です。 むつ市関根地区の山田家にひととおりアンケートを入れたお手紙を送らせて頂きましたが、 そのうちの1件の方がご返事を下さいました。 その内容によって、様々なことが判明しました。 嫁の高祖父・山田菊松(1875~1934)は、明治38(1905)年頃に北海道に渡ったのですが、 その菊松の実家は、ご返事を下さった家からの分家であり、 判明している山田家最古の名前・山田三之丞の長男が本家を継ぎ、 明治12(1879)年に分家した二男が、菊松の父・畑中由蔵を養子として迎えた山田善四郎(1824~1897)。 そもそもこの関根の高梨地区ですが、戦に敗れて6家族が落人として住みついたのが始まりと伝えられているそうで、 その6家族というのが、舘(たて)、田中、畑中、山田、倉田、安藤といった家であったようです。 そのうち判っているところでは、畑中山田という家がそれぞれ嫁の祖先にあたります。 ここから推測になりますが、関根高梨地区より2里程離れた現在の大畑町に薬研(やげん)という温泉地がありまして、 そこは大坂夏の陣で敗れた武将が落ち延び、発見された温泉だという言い伝えがあるそうです。 もしやと思い、この6家族の姓の分布を確認してみたところ、ほぼ東海、近畿に多い姓であるではないですか! この程近い高梨地区と薬研地区に、同じ理由で落ち延びたと考えると、 山田家も畑中家も舘家も、大坂夏の陣で敗れた豊臣方の兵だったんじゃないかと思うのです。 もし、このことについて明るい方がいらっしゃいましたら、ご教示いただきたく思います。 あと本家の家紋は、高祖父・菊松の異父兄弟(同じく北海道に渡った)の家紋と同じ「丸に三つ柏」だそうで、 菊松の家紋「丸に横木瓜」は、もしかすると父である由蔵の畑中家のものなのかなぁとも感じます。 下の写真は、嫁の祖父のアルバムにあったものです。おそらく明治~大正期のものかと思いますが、おそらく年代から考えて菊松の養祖母、山田善四郎の妻・山田みの(旧姓・舘:1824~1917)ではないかと思っています。

 

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