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真剣に家系探求

何かの縁で北海道に集まってきた祖先の歴史を少しづつ紐解いていきます。

越後国蒲原郡吉江村【鹿嶋家】②

引き続き新潟小出家のお手紙の内容ですが、今度は、母方祖母の祖父および祖母(高祖父母)の実家、鹿嶋家についてです。

 

鹿嶋家

http://dotouttan.hatenablog.com/entry/2008/05/20/225339

 

鹿嶋家については、あまりお手紙では触れられてはおりませんでしたが、前項で触れた高祖父・小出福松(1871~1937)の実家であり、曽祖父・皆川征露久(1905~1954)の母・イツ(1866~1930)の実家でもある鹿嶋家。

現在判明している最古の祖先は、高祖父母の祖父母、越後国蒲原郡吉江村の鹿嶋源之助・リソ夫妻です。

 

源之助の長男である源七は天保11(1840)に誕生し、安政4(1857)年に河間村(中之口村→現在は新潟市西蒲区河間)の如澤兵右エ門の長女・モトと婚姻。このとき二人は17歳と14歳。若い!けど当時は普通だったんでしょうか?

 

その後6男2女を授かった源七でしたが、明治28(1895)年、55歳のときに北海道岩見沢村字月形川向に入植。同時であったかは不明ですが、長男・鹿蔵、三男・為七も父と同じ月形へ入植しました。

 

二男・福松は小出家に婿入りし、四男・源蔵のみ吉江に残ります。五男・松藏は、新潟県白根市の佐竹家に婿入りし、医者となりました。源之助家が本家であったかはわかりませんが、この事実を見る限り現在の吉江の鹿嶋家は、源七の四男である源蔵の子孫が守っているのではないかと思われます。

 

なぜ北海道に渡ったのか、その事情はわかりませんが、鹿嶋家はかなり早い時期に入植していまして、親族である皆川家が入植先に北村を選んだ大きな要因になったのではないかと思います。

 

鹿嶋の家紋は「違い大根」。

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ネットで調べてみると、大根紋は本庄氏が使用していたそうで(違い大根ではなさそう?)、また本庄といえば、越後にも上杉家臣の本庄氏があったようなので、関連がもしかするとありそうな気もしますが・・・???

 

福松の生家は現在もその地にあるようで、電話帳には載せておられないようでしたが、住宅地図において(鹿嶋ではなく鹿島となっておりましたが)確認ができました。

 

なかなか気になる鹿島家。ぜひコンタクトを取ってみたいものです。