真剣に家系探求

何かの縁で北海道に集まってきた祖先の歴史を少しづつ紐解いていきます。

樺太に渡ったという歴史

かつて日本の一部であった樺太

太平洋戦争の結果、ソ連の領土となり、日本人が容易に踏み入ることができなくなってから65年が経ちました。

娘に繋がる家系のうち、そんな樺太に移住していた経歴がある家が3軒あります。

まず、嫁の祖母の実家である佐藤家。曽祖父が移住。

 ○昭和18年11月12日転籍:釧路市元泊郡知取町大字北遠古丹字北遠古丹3番地(現地名:ポレチエ)

 ○昭和24年11月28日、引き上げにより釧路市へ転籍

という記録がありますが、昭和3年に小清水村において四男出生の後、嫁の祖母が昭和6年に知取町の大字鵜取字大鵜取無番地(現地名:マルコボ)で出生しておりますので、昭和3~6年の間に樺太へ移住しているようです。

ちなみに曽祖父は、樺太では建設系の現場監督のような仕事をしていたらしいです。

そして、母の実家である平野家。高祖父~祖父が移住。

 ○昭和13年8月20日転籍:斜里郡清水村名好郡恵須取町大字上恵須取字布札南2線69番地(現地名:クラスノポリエ)

 ○昭和24年10月16日、引き上げにより小清水村へ転籍

祖父の話によると昭和10年頃に布札に移住。その間、昭和12年に曽祖父、昭和14年に高祖父が相次いで亡くなり、祖父が16歳で家督相続という激動の樺太時代です。職業も定職は無く、農業の他に何でもやって凌いでいたと。また、引き上げのときのロシア兵との緊迫したやり取りとか、生きるのに綱渡りのような状況であったことを良く聞かされています。

最後に、母方祖母の実家である皆川家。曽祖父が移住。

 ○昭和12年7月25日転籍:空知郡北村→名好郡恵須取町大字上恵須取字布札南3線117番地(現地名:クラスノポリエ)

 ○昭和24年2月15日、引き上げにより北村へ転籍

こちらも祖母の話によると昭和10年頃に移住。当時の鳥取村に1泊した後、釧路港から樺太に渡ったそうです。

上記平野家と近所であったことから、祖父と祖母が出会い、引き上げ後に結婚しました。

結果、樺太移住の流れが無ければ祖父と祖母は出会っていなかったと考えると、この恵須取の布札という地はとても重要なものだと改めて認識した次第です。

曽祖父は引き上げの際の制限から、家族と離れて一人樺太に残らざるを得ないという状況に立たされたそうで、その際に家族に詠んだ詩が残っています。

・・・どの家も昭和24年に引き上げによる転籍の記載が。

終戦後すぐには引き上げができず、数年間に渡って悲惨な生活を強いられたという暗い歴史がありますが、まだ樺太についての知識が乏しく、時代背景などもこれから史料を当たってみようと思っています。

また、現在88歳の平野家の祖父がこないだ訪ねた時にロシアのガイドブックを読んでいたようで、どうやら旧樺太に行きたそうなのです。

体力や移動の負担などを考えると、祖父の願いはとても現実的ではないのですが、私たちの代にでもその地を踏むことができるようになるのでしょうか。