真剣に家系探求

何かの縁で北海道に集まってきた祖先の歴史を少しづつ紐解いていきます。

旅館を営んでいた山田家

1970(昭和45)年11月、妻の祖父夫妻と3人の子供達は釧路市南大通に移り住み、漁船向けの「福助旅館」を営んでおりました。

山田家の祖父は、もともと阿寒町にあった雄別炭鉱鉄道(通称:雄鉄)に務めており、昭和45年の雄別炭鉱閉山後はその関連企業に再就職。

その再就職と同時に転居し旅館を開業したため、旅館の業務はほとんど祖母がまかなっていたそうです。

 

漁船向けの旅館といった性格上、遠方から船員を迎えにきた家族のお世話をしたり、

その船に乗る宿泊客が、いつ港に着くかわからないので待っていないといけない・・・、しかもそれは昼夜問わず。

毎日気を遣いながら、眠ることができない日々を送っていたそうです。

そのため、もともと体が強くない祖母はずいぶんと体を蝕まれていったようです。

 

嫁も、そのいとこたちもよくここに集まり、その時はさぞにぎやかだったでしょう。

f:id:dotouttan:20140421065315j:plain

 

当時2歳の妻が、旅館の前で祖母にだっこされて撮った写真です。

 

もうこの頃は、旅館の仕事はあまりやっていなかったそうです。

 

子供達の独立後、1988(昭和63)年末に祖母は逝去。57歳という若さでした。

その半年後に祖父は長男一家の許へと転居し、3年前に亡くなるまで同居しておりました。

 

旅館だった建物は、現在は取り壊されて駐車場となっています。

f:id:dotouttan:20140421065332j:plain

 

上の写真と同じ場所の現在。

 

この地に山田家があったのはわずか18年7ヶ月という期間でしたが、たくさんの山田家の思い出がここで刻まれました。