真剣に家系探求

何かの縁で北海道に集まってきた祖先の歴史を少しづつ紐解いていきます。

親子3人、弟子屈へ

ついに出産予定日まで3週間を切りました!

さすがにそろそろ準備とかしなきゃなんない時期です。

 

もう一人子どもが増えてからの生活というのがまだ想像つかないですが・・・。

 

そんな中、今後しばらく行けなそうなので、弟子屈を訪れることとしました。

弟子屈は車で70分ほど。産気づいても何とかなりそうな距離です。

 

まず最初に、菊地家の長老である大叔父(祖父の弟)のお宅へ。

子どもや孫が、みんな遠いところにいる(曾孫がカリフォルニアで生まれたり)ので、

我が家の来訪をいつも楽しみにしてくれています。

 

前回訪れたときから10か月のブランクが開いてしまったので、

現在3歳9か月の娘の劇的な成長を、目を細めてみてくれました。

 

スキを見て祖父の話を改めて聞いたところ、

知らない話を仕入れることに成功しました。

 

祖父は東京の写真学校に行ったというのは知っていたのですが、

上京は昭和7,8年頃、場所は小石川区だったそうです。今はもうないんじゃないか?とのこと。

確かにインターネットで調べてみてもヒットしません。むぅ。

 

戦後、弟子屈で写真屋を営んでいたが、その後は女満別村(祖母の実家)、清里村(曽祖母が住んでいた)と転々して写真屋をやり、

最後にまた弟子屈に戻ってきたということも初めて聞きました。

 

また、高祖父・幸吉(身長5尺9寸。約179cm)、曽祖父・幸太郎(身長5尺6寸。約174cm)はともに村内で一番強い相撲取りだったそうです。

弟子屈は昔から相撲が盛んな地域で、その後は世紀の大横綱大鵬を輩出しています。

 

あと一応確認してみたのですが、祖父のもう一人の弟が生前に調べた菊地家の家系についての資料は、やはりもう奥さんによって捨てられているだろうとのこと。

中には、かつての屈斜路菊地家の写真や、祖父が昔撮影した写真が大量にあったとのことです。残念すぎます・・・。

 

大叔父の家でソバなどを御馳走になり、次は大叔父の家のすぐ近くにある伯母(父のきょうだいで一番年長者)の家に向かいました。

 

伯母はついこないだまで体を壊して入院していたそうで、もともと痩身なのにさらに痩せていました。

まだ体調が優れなそうだったので、近況を話したくらいであまり長居できませんでした。

 

最後に、こないだ書いた親友Sの家へ。

そこの子と会うのは、赤ん坊の時以来。すっかりお兄ちゃんになり、奥さんそっくりに成長していました。

 

うちの娘は、ほぼ初対面なこともあって、

恥ずかしがってあんまり一緒にあそびませんでした。次に会うときにはきっと大丈夫・・・かな?

 

このSの奥さんは、私のはとこでもあります。

このはとこの祖父が、上で書いたかつて菊地家の家系を調べていた人。

「今度ばあちゃんに会ったら、じいちゃんの資料なにか残ってないの?って聞いといてね」と言い残してS家を後にしました。

 

帰りにふと思いついて弟子屈の図書館に寄ってみましたが、

娘が眠そうなのと、嫁がしんどそうだったので早々に退散。

 

きっとこれが親子3人で最後の旅行?だったんだなぁ・・・と、感慨深く車を走らせていました。