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真剣に家系探求

何かの縁で北海道に集まってきた祖先の歴史を少しづつ紐解いていきます。

山田家からのお電話

こないだ山田家の新たな除籍謄本を取得でき、それによって高祖父の母・みゑが入っていた戸籍の世帯主である高祖父の一番下の兄弟にあたる異父弟の子孫の方が判明いたしました。

妻の父にその名を出してみると、かつてウチの山田家に近いところに住んでいたようで、義父も最近はご無沙汰ながら知っている人であるそうでした。

 

曰く、「全然昔のことは知らないと思うぞぉ」とのことで、あまり期待はできない予感。

 

しかし高祖父の母・山田みゑについては没年が不明な状態であり、お墓もどこにあるかが不明。

新たな情報が得られるのではないか・・・という淡い期待を込めて、お手紙を出してみました。

 

結果、翌日にお電話をいただくことができた次第です。

 

しかしながら、やはり義父の言うとおりあまり家系のことは伝わっていないらしく、

新たな情報を得ることは叶いませんでした。

過去帳等も存在していないようでした。

 

そんな中で、重要な情報を一つだけ得られました。

それは家紋。

 

ウチの山田家(高祖父が分家)は「丸に木瓜」ですが、青森の本家は「丸に三つ柏」。

さらに高祖父の3人いる異父弟のうち、2番目の弟の家紋も「丸に三つ柏」であることは判っていました。

今回連絡が取れた一番下の弟の家も「丸に三つ柏」。

やはり、山田家はウチの系統を除いてみんな同じ家紋です。

 

「丸に木瓜」はどのような経緯で使用するようになったのか?

高祖父・菊松の父である畑中由蔵の実家の紋ではないかと睨んでいるのですが・・・。

 

最後に聞けたのは、戸籍上は一番下の弟の籍に入っていたみゑですが、

実際は高祖父のすぐ下の異父弟(分家していた)と一緒に暮らしていたそうです。

同じ戸籍に居るからといって、同居していたとは限らないのですね。

 

あるいはそちらの家に何かが遺されているかもしれませんので、

そのうち今回の山田家を通じてコンタクトを取ってもらおうとしているところです。

 

また、相互貸借で青森時代の山田家が通っていたであろう関根小学校の百年記念誌を借りて読み込んでみましたが、

まったく山田家にかかわる記載は見つけられませんでした。

 

ここまでくると、新たな情報を得るということは一筋縄ではいかないですね・・・。