真剣に家系探求

何かの縁で北海道に集まってきた祖先の歴史を少しづつ紐解いていきます。

くぅ~・・・残念!

本日コメントをいただきました「いちかわ」さん。お久しぶりです!

私がブログを開設してから、3年と3か月前に初めてコメントをいただいた方ですね。

 

そーですかぁ・・・。このような形でお役にたてているなんて、大変うれしいです。

台湾にも繋がりがあるなんて、これから困難な道が待っていますね。調査するための手続きの方法も日本の方法とは違うでしょうし、しかも言葉もわからないでしょうし・・・。

でも、とてもやりがいがありそうです。これからもがんばってください!

 

それにしても、やはり北海道の人はもともと色々なところから集まっているんだなぁ、というのがわかりました。「いちかわ」さんは謄本請求に5市町村くらいで済んでいるところ、私の場合は29市区町村に及んだのですから・・・。

 

あと、きのうコメントをいただいた藤田さんは、私の中学校のときの先生なのです。このような形で再び接点が持てるとは思いもしませんでした。

共通の趣味(?)を持つ仲間ということで、これからもよろしくお願いいたします。共にのんびり進めていきましょう!

 

話は変わって、こないだ委任状をいただいて、戸籍請求にチャレンジした近藤家。

しかしその近藤さんの祖先を辿った結果、残念なことに祖先である近藤勝右衛門の名を見つけることはできませんでした。

さらに、近藤さんが仰られていた「祖先は庄屋の近藤数右衛門」。この名も出てこない!

 

もっとも旧い戸籍には、その時代のご当主から見て「養父 近藤新右エ門」という名。そして「近藤義冨 二男」とあります。

義冨さんの二男が、新右エ門さんの養子となったようです。

 

ここにきて、知った名前は一つも出ず、新たに新右エ門という似た名前が出てきました。

 

う~ん。ちょっと整理してみよう。

今まで出てきたのが、

・近藤勝右衛門。私の6代前の祖先である菊地儀平(弘化元(1844)年生)の実父。儀平は五男にあたる。

・近藤数右衛門。上関河内村の庄屋を務めていた。明治2(1869)年の公文書にその名が記載されたものがある。

・近藤新右衛門。近藤さんのひいじいちゃん(嘉永6(1853)年生)の養父。

・近藤義冨。近藤さんのひいじいちゃんの実父。ひいじいちゃんは二男にあたる。

 

・・・この4人は、いずれも上関河内で同年代を過ごした人物であるような気がします。

近藤さんの仰っていた「祖先は数右衛門」というのが真実ならば、『数右衛門=義冨』であるとも考えられます。

あるいは、東舘村・菊地家の戸籍謄本の「勝右衛門」という記述が間違っていて、実は「数右衛門」だった!と推測してみたり・・・。

しかも、上関河内に近藤家は現在2軒しかないそうで、うち1軒は今回の謄本の中で分家している家のようです。

もし上記の人物が兄弟だとしたら、他にも近藤家が無いとおかしいような・・・?

 

結局、またもや核心に至ることはありませんでした。もう可能性が風前の灯火!

 

今回取得した謄本は、謄本を基に作製した系図とともに近藤さんにお送りしました。

これを見ていただいて、なんとか現地の近藤さんに手がかりを見つけて欲しい!と強く願っているところです。

こないだ近藤さんが「最近こーいうことに興味を持ってきた」とも仰っていましたので、望みはまだまだ捨てません。