ついに太田家へコンタクト
家系を調査し始めて早5年が経過しました。
その間、近い家系や遠い家系合わせて63もの家系が判明しました。
戸籍謄本を取りまくり、土地台帳もある程度取得。さらにはさまざまな家に電話やお手紙で手がかりを求めてきました。
そんな中、非常に近い家系である私の祖母の実家・太田家についてはほとんど調査をしておりませんでした。
曽祖父・代次郎の代で茨城県つくば市上里(当時は筑波郡吉沼村)から北海道網走郡女満別町に大正中期に入植してきた太田家。
太田家に関しては、未だ家紋すら判っていない状態。
一度、女満別の本家(代次郎の孫:父のイトコ)にお手紙をしたものの、連絡をいただけておりませんでした。
年賀状はいただきましたが・・・。
そこで今日、ふと電話してみようという気になりました。
電話をしてみると、「いろいろ資料かき集めてたんだよね~」とのお言葉。
「でもあなたが知りたがっていることはたぶんわからないんだわ~」。
私も、入植前のことが判明するとまではおもっておりませんでした。
それでも、太田さんの近況や子供さんたちのことをうかがうことができました。
太田さんの子どもたちは私のハトコにあたるわけなので、またこれで知っているハトコが2人増えました。
あと、ばあちゃん(大正3年生まれ)の嫁入り前の写真がいっぱいとってあるらしいので、いずれ見せてもらおうと思います。
そしてどうやら、私の声はじいちゃんそっくりだそうで、「菊地のおじさん(私のじいちゃん)をおもいだすなぁ~」と言っておられました。なんか不思議な感情を覚えました。
ちなみに私の父も私そっくりの声です。やっぱりそういう雰囲気って遺伝するもんなんかなぁ。
家紋は良くわからなかったのですが、「桐だよ。丸で囲ってるヤツ」とのことなので、どうやら『丸に五三の桐』かな?ポピュラーなのであまり手がかりにはなりそうもありません。
そしてどうやら太田さんのお姉さんが美幌に居り、そちらのほうが詳しいとのこと。
電話番号を聞き、さっそくかけてみましたが、お姉さんは外出中。
また後日、改めて電話してみよう。
中央が曽祖父・太田代次郎(1878~1962)、左がじいちゃんの菊地幸松(1916~1970)、右がばあちゃんの菊地よし(1914~2008)。
子どもたちは伯母(1940年生まれ)と伯父(1941年生まれ)。
おそらく1943年くらいに撮影された写真だと思います。