真剣に家系探求

何かの縁で北海道に集まってきた祖先の歴史を少しづつ紐解いていきます。

じーちゃんが新聞に載った!

今日の北海道新聞朝刊。

母方のじーちゃんが載っていました!

 

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祖父・平野政次は、平野家の二男として、1922(大正11)年に当時の北海道斜里郡清水村大字止別村で誕生。

祖父の兄である正治は1917(大正6)年に2歳で夭折していたため、祖父は実質平野家の跡継ぎとして育てられました。

 

1934(昭和9)年に小清水村立止別尋常小学校を卒業後、翌年に一家で樺太名好郡恵須取町大字上恵須取字布札へ移住。

新聞には「兵役で・・・」と書かれていますが、それはちょっと違うかな?

 

樺太での戦中に父と祖父を相次いで病気で亡くし、1939(昭和14)年に16歳の若さで平野家の家督相続をしました。

 

その後、兵隊の任務に就いたまま、樺太で終戦を迎えます。

 

終戦の報は、基地に呼び出されて上官から「戦争に敗けた。あとはみんな健康に気を付けるように!」・・・という言葉だけで解散となったらしく、途方に暮れたそうです。

間もなく家財道具はロシア兵や日本に引き揚げる近所の人々に強奪され、貴重な平野家代々の財産はほとんど無くなってしまいました。

 

祖父は引き揚げまでの4年間ロシア兵に強制労働させられ、幾度となく殺られそうになりながらもなんとか生きて日本に戻ってきました。

 

その際に祖父曰く「税関で有り金全部盗られた」と言っていたお金が、63年の時を経て無事に本人の手に戻されたという記事でした。

 

・・・じーちゃんとは、会うたびに戦争の話をする決まり?になっております。

それがこないだイモ掘りをさせてもらいに行った時に、小清水町の広報に載っていた『税関で預かった財産を返還しています』という記事を見せられ、

「俺も多分(対象の財産が)有るんだ。手続き取ってみようと思う」と言っていたので、その時は「ふ~ん・・・」という感じだったのです。

 

それが、このような形で結果を見ることになろうとは。

珍しいパターンだったんですね。本人に直接返るというのは。

 

たとえそれが370円(それでも当時の価値は100倍くらい?)だったとしても、じーちゃんにしたらプライスレスなものだったんでしょうね。

 

ちなみに、じーちゃんは今でも愛車カローラを駆って網走に釣りに行ったり、木こり仕事を普通にこなしたりする元気なじーちゃんです。

 

とりあえずこの新聞はスクラップしとこう。