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真剣に家系探求

何かの縁で北海道に集まってきた祖先の歴史を少しづつ紐解いていきます。

平野家のルーツを訪ねて②

家系

出張2日目。この日は午後から虎ノ門で会議があるので、家系に関する動きはナシです。

午前中は、兼ねてから行きたかったお台場のMEGA WEBというトヨタのショールームへ。

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子どもが一緒だったらなかなかのんびり廻ることができなかったので、いい機会です。

中でもクラシックカーが飾ってあるトコはとても良い雰囲気。

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映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」でおなじみのデロリアンが!初めて見ました♪

 

その後は虎ノ門へ行き会議に参加し、夕飯は島根県松江市役所の方とご一緒させていただきました。

職場や電算システムが非常に似通った境遇の松江市釧路市。熱く語りながら、非常に濃い時間を過ごせました。

 

そして最終日を迎えます。

この日は平野家のルーツである練馬区へ向かいます。

 

ここでひとまず今までのことを整理してみます。

 

北海道平野家の祖は新倉家からの婿養子である平野儀三郎(1866~1939)、その妻はいち(1863~1953)。この夫婦が北海道に入植しました。

いちの父は平野丑松(1827~1903)といい、母は下田家から嫁いだたつ(1819~1910)。

 

小清水町の戸籍になぜか東京時代に分籍したはずの丑松夫妻の記載もなされていたために生年が判ったのです。

練馬区の除籍は廃棄されていましたので、これは奇跡的でした。

あと、丑松の父欄には「仙之助」という名も記載されていました。

 

儀三郎の妻・いちは丑松の長女であり、次女である「かの」(1866~1932)も婿養子として上土支田の加藤音五郎(1862~1931)を迎えています。

子孫の手がかりを求め、4年前にダメモトで音五郎の除籍を請求しました。音五郎が除籍80年廃棄の対象年以降に没していて、丑松かたつが籍に残っていれば取得できるはずです。

すると、見事にゲットできました。ギリギリである昭和6年に音五郎は没していました。丑松の名も隠居として載っています。しかしなぜか父欄は空欄。小清水の戸籍に載っている「仙之助」の名がありません・・・?

さらに、そこには音五郎の息子である忠右衛門(1895~1979)の名や、孫の名前が記載されていました。やった~♪

 

戸籍で判明している入植前の地番は「北豊島郡大泉村大字小榑」。土地台帳には字名があり、「西堤」と記されていました。

これは現在の西大泉2丁目か5丁目あたりだそうです。

そして電話帳で調べても平野本家らしい家はみつからず、そのまま手紙作戦も行っていませんでした。

 

そしてある日蓮宗のお寺にお手紙をしたところ、「ウチの檀家には平野姓はいません」とのご返事。

あきらめずにもう1件のお寺、本照寺にもお手紙。するとなんとお電話をいただき、「妙福寺というところがその家の檀家ですよ。子孫は健在で、大きいお宅ですよ。」と教えていただけました。

その後、その妙福寺にお手紙をしましたが、なしのつぶてでした。これが2年前のこと。

 

今回出張が決まってから、ある程度情報を掴んでおこうということで、とりあえず戸籍の地番が今のどこに当たるかを正確に知っておきたいと思いました。

まず法務局に聞いてみましたが、法務局ではそのようなことはわからないとのこと。

 

今度は練馬区役所の資産税課に電話してみると、住居表示係ならわかるかも?ということで、電話を回していただきました。

そしたらば、「この地番だと、西大泉2丁目〇〇番地あたりだと思います。たぶん・・・」というご返事をいただけました!

 

んもう、興奮しましたね。さっそく電話帳を繙き、そこの平野さんを探しますが、・・・やっぱり無い。

しかしながら近い番地の平野さんが居りましたので、いてもたってもいられずにさっそく電話!

奥さんらしき方が出られ、「ウチじゃあそんな昔のことはわかんないです~」と言われて終了。やっぱし、こんな突然の電話じゃあ怪しいしなぁ。もし知ってても教えてくれないだろうな。。。

 

・・・というこれまでの感じでした。

 

宿泊地の池袋から、まずは除籍謄本を求めて練馬区役所へ向かいます。

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しかし、やはりこれ以上の除籍謄本は取れず・・・。

 

ぱっぱとあきらめて、大泉学園駅へ。

 

まずは本照寺へと歩を進めます。この間迷いまくって40分くらい・・・。

ここいら辺の日蓮宗のお寺の元締めとあって、さすがに立派なお寺でした。

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ご住職にお会いして、以前のお礼をしようと思いましたが不在とのことで、妙福寺へと向かいます。

 

さらに細い道を車に轢かれそうになりながら歩くこと30分。ついに妙福寺に到着!保育園が併設されていて、子どもたちのにぎやかな声が聞こえてきます。

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おぉぉ・・・でけえ!すごい迫力を感じました。

 

そしておそるおそる門をくぐって右を見ると、石碑がありました。どうやら檀家の名前が彫ってあります。

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よくよく見てみると・・・

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おぉ!平野忠右衛門の名が刻まれている!間違いなく、平野家はここの檀家!

 

興奮しつつ受付へ向かい、ご住職に会えないか尋ねましたが、生憎お客様がいらっしゃるようででした。

対応してくださった女性の方に事情を説明すると、子孫の方を探してくださいました。

 

すると、檀家の名簿には忠右衛門の息子にあたる方(大正11年生まれ)の名前があったんですが、横線で消してあるとのこと・・・?

おそらく檀家じゃなくなったんだろうけども、理由は判らないとのことでした。

そして、お墓も寺内には無いとのこと。家でお墓を持ってるのではないでしょうか?とおっしゃられました。

いちおうその方の住所を伺い、今度はその住所へと向かいました。

 

40分ほど歩き、やっとその住所に到着するも、そこには違う名字の表札が掲げられています・・・。

あぁ、どっと疲れが・・・。これまでか!?

 

仕方なく近くのファミリーマートでお昼を食べようと思いましたが、もう汗だくなので昼食はアイスモナカに。

ファミマの駐車場で汗だくでアイスモナカを食べる不審な男。もう通報されてもおかしくないレベルですよ。

 

モナカを食べ終わり、タバコの煙を燻らせながら考えました。

そうだ!こないだ電話した家に行ってみよう!もうダメモトだけど!

 

さっそく行ってみると、とんでもなく大きな農家です。

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運よく外で農作業している方がいらっしゃったので、声をかけてみました。

事情を説明すると、「あぁ、北海道に行ってクマに食われた人かい?」と、予想外の答えが!

 

なんと、その方は平野家から江戸時代に分家をなさった家の方でした。なんという幸運でしょう!

 

その方から、いろいろな情報を得ることができました。

 

本家である忠右衛門の息子さんは一人暮らしで近くに住んでいるということ。

さらにその息子さんはちょっとはなれたところのマンションに住んでいるということ。

かつては屋敷があったが、近年すべて人手に渡ってしまったということ。

書けませんが、平野家が妙福寺の檀家ではなくなってしまった理由・・・。

 

そして、墓地の場所も教えていただきました。すぐ近くにあるセブンイレブンの駐車場の片隅にあるそうです。

最後に本家のお孫さんの連絡先と住所をゲット!

 

丁寧にお礼を言って、分家の平野家を後にお墓に向かいます。

 

お墓は、近くのセブンイレブンの敷地内に本当にありました。

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なんという場所にあるのでしょうか。平野さん曰く、お墓の土地は売れないから・・・とのことでしたが、なんかすごいです。

そして家紋は北海道平野家と同様、「丸に抱き茗荷紋」。なにか感激。

 

手を合わせ、ラッキーが重なってここに来れた奇跡を感謝し、子孫は北海道で繁栄してることを報告しました。

墓地には10基ほどの墓石がありました。確認できるところでは、天明元号が彫られたものもあります。

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墓誌には、丑松の一世代前からの戒名がずらりと刻まれていました。丑松以降は日蓮宗の戒名なのですが、俗名の記載のない丑松の父母?は日蓮宗の戒名ではありませんでした。

そして写真を撮りまくりました。やはり風化して読めない墓石が多く、さらには戒名しか彫られていない墓石が多いので、誰の墓石かわからないものばかり・・・。

そんな中で、名前が見つかったのは、音五郎や丑松の他に、施主として「宗右衛門」や、「想右衛門」という名でした。韻が同じなので同一人物かな?

中には「施主 平野牛松」と彫られていたものもありましたし。

 

戸籍上丑松の父として記載されている「仙之助」の名は見つかりませんでした。「そうえもん」がそうなのかなぁ?

 

ひととおり写真を撮りまくり、「また来るね!」と心の中で言って立ち去りました。

 

最後に、忠右衛門のお孫さんに電話したところ、残念ながらお仕事に行ってらっしゃいました。そりゃあ平日ですから・・・。

後日、電話を頂けるとのことなので、今回の調査はここで終了です。もう羽田に向かわなくてはなりません。

 

そんな最終日でした。まさかここまで辿りつけるとは思っておりませんでしたし。

ご先祖さまが導いてくださったとしか思えない展開になりました。

 

ちなみに後日、忠右衛門のお孫さんから連絡をいただいたのですが、過去帳墓誌と同じことしか書かれていないらしく、これ以上さかのぼることはできないとのこと。むむむ残念。

むしろ知らないことが多いので、教えて欲しいとのことでしたので、近いうちに資料をお送りします。これがきっかけで、なにか掘り返すことができればとの期待を込めて・・・。

結局、撮った墓石の写真を見返しても読めないものが多かったですし・・・。

 

でも百年以上も疎遠だった本家とご縁ができたことをとても嬉しく思います。

早く小清水のじいちゃんに報告したいな♪