竹内家の子孫宅にお邪魔
今日は久々に家系に関係する行動を起こしました!
妻の父の母の母の母(高祖母)のさらに実家である竹内家。
大正元(1912)年に私が知る上での最古のご先祖・竹内惣次郎が亡くなり、釧路市では除籍後80年で引っかかってしまって平成18(2006)年に廃棄・・・。
惣次郎の妻であるたよ(1855~1942)が次代の戸籍に入っていたため、その次代の除籍は入手できたのですが、残念なことに釧路郡鳥取村に入植して以降の事項しか判明せず。
近い親戚から竹内家は鳥取県から来たということは教えてもらったんですが、果たして鳥取県のどこから来たのかまでは判りませんでした。
鳥取市ならば、明治19年戸籍から発行してくださるので、鳥取県時代の本籍地さえわかれば請求できると思っていました。
もう戸籍で追えない以上、子孫の方々に聞いてみるしかありません!
かねてより子孫の方が同じ釧路市内にいらっしゃることは知っていたのですが、あまりにも遠い血縁だったのでなかなかお会いできる機会がありませんでした。
そんな折、今日は妻が午前中は仕事で、その際に私と子どもたちは家の大掃除で出たゴミをゴミ処理場に持っていく予定でした。
その道中にそのお宅があるのです。
そして、そのお宅の大正10(1921)年生まれのおばあちゃん(惣次郎の長男の長女)がご健在なことも、親戚である仕事仲間から聞いておりました。
・・・ということで、乏しい勇気を振り絞り、子ども2人を連れてアポ無しで突撃することに!
まずは、おばあちゃんと同居しているという情報をもとに、そのおばあちゃんの長男のお宅を訪ねます。
するといらっしゃいました!すごく話しやすそうな雰囲気の男性です。
事情を説明すると、さっそくお宅にあげていただいちゃいました。
どうやらおばあちゃんはお姉さんのお宅に行っているらしく、長男の方しかいらっしゃらないご様子。
しかしながら仏壇に位牌があり、それで惣次郎の生年月日が判明しました♪
嘉永2(1849)年7月22日生まれだそうです。行年63歳。位牌に生年月日書いてあるのは珍しいですけど。
さらに、惣次郎が鳥取県から持ってきたといわれる絵皿がありました。
なんか高そうな雰囲気です。
そしていつの間にか、子どもたちは出していただいたお菓子を食いつくしておりました。遠慮というものを教えなきゃなんないなぁ(+o+)
その後、おばあちゃんがいらっしゃるという近くのお姉さんのお宅を教えていただき、お宅を後にしました。
そしてお姉さんのお宅に1分ほどで到着。
インターホンを押しますが、全く音が聞こえません。
先ほどの長男さんに電話をしてみると、電話番号を教えていただけました。
その電話番号にかけてみると、そりゃあもう怪しまれまして、「弟に電話してみるからねっ(怒)!」といって切られました。
しばらく待っても何も起こらず、仕方なくもう一度長男さんにかけてみると「電話なんか来てないわ」と・・・。
こりゃあもうおばあちゃんに会うことは難しいなぁ・・・と諦めムード。
もう一度お姉さんに電話。
「さっきは(弟は)電話出なかったんだよ。今度携帯にかけてみるわ。そこで待ってて(ちょっと怒)」と、まだまだ不穏なムード。
こんなご時世ですから仕方ありません。いかに信じてもらうかが最大の難関です。
5分ほど待つと、遂に門戸が開かれました!
前述の経緯から、勝手に怖そうな人を想像してしまっていましたが、優しそうな女性。
こんな怪しい人間を信じてくださって、お宅にお邪魔させていただきました~♪
中には、惣次郎の孫であるおばあちゃんが!
すごく優しそうなおばあちゃんです。
さっそく竹内家のことについて聞いてみますが、残念ながら鳥取県のどこから来たかまではご存知ないとのこと・・・。
得られた情報としては、
・サムライだった(!)
・惣次郎が勲章を何個も付けた写真がどこかにある。
・惣次郎は婿養子(たよの父欄に「竹内儀三郎」とあったので、うすうすは感じていた)。
・釧路に来たころは、大層裕福だった。
・宗派は禅宗。
・家紋は曰く、「丸が付いた桐」とのこと。
・・・という感じでした。
鳥取時代の本籍はわかりませんでしたが、サムライだったということは、もしかすると鳥取藩の分限帳とかに名前があるかもしれません。
でもそれを見るには鳥取県に赴かなくちゃなりませんね・・・。
「いずれ鳥取県にいって確認してくるから、おばあちゃんそれまで元気で長生きしててね!」というお話をしてきました。
結果的には大きな情報こそ得られませんでしたが、竹内家の暖かい方々とお会いできたことが大きな収穫。
そして、ラッキーな出来事でした(^O^)
今後は竹内儀三郎と竹内惣次郎について、鳥取県で調査です!
果たしていつの日か・・・?