探し求めていたものが今ここに\(^o^)/
3週間前、妻の高祖母・湯谷まち(1879~1959)の実家である竹内家の子孫の方にお会いすることができました。
結局、竹内家が北海道釧路郡鳥取村に来る以前のことについては判明しませんでした。
釧路に来てからの、まちの父親である竹内惣次郎の除籍謄本が廃棄されていたことによって、壁に突き当たってから早6年が経過。
もうほとんどあきらめていたところでした。
しかし、先々週より本当に久しぶりに除籍謄本の請求を開始。
しかし、「鳥取から来た」、「サムライだった」という言い伝えしかない状態。
あとは、位牌に記述されていた惣次郎の生年月日が嘉永2(1849)年7月22日だったということ。
そして惣次郎は婿養子で、妻・たよ(1855~1942)の父が竹内儀三郎という名であるということ。
さしあたって、まずは高祖父の実家があった鳥取市に請求してみます。
まちの夫である高祖父・湯谷金蔵(1867~1935)が住んでいた旧・国府町荒舟の近くかもしれません。
また、サムライだったとのことなので、城下町に住んでいたんだろうというのと、結婚相手と近い所に住んでいたのではないかという推測です。
しかし、空振りに終わりました。
最近は結構な数の自治体で戸籍システムを導入していて、旧い除籍でも名前をポンと入力するだけで検索できるようになっています。
電話をいただき、その間にも検索してくれたのですが、鳥取市の除籍には惣次郎も儀三郎も該当はありませんでした。
九分九厘鳥取市だと思っていただけにがっくり。
もう、あとは本当に闇雲に請求しまくるしかありません。
発行されない以上、郵便小為替自体の額面は減らないのですが、切手代がかかります。往復で280円。
家計の関係上、一回にまとめて請求というのはできないので、順番に請求していかなくてはなりません。
あと18もあるのか~(+o+)
そんなとき、ふと思い立ちました。
メールで有るか無いか聞いてみたらいいじゃん!
さっそく実行!
しかし、どこも「ちゃんと正式に請求してくださいね~」と優しく電話やメールで諭してくれるだけ。
そりゃあ、このご時世じゃそうだよなぁ・・・。
仕方がないので、再び正当に請求することに。
すると、鳥取市に次いで、八頭郡の八頭町というところの竹内率が高いです。
次のターゲットは八頭町!
そして先週の金曜日に請求書を投函し、ドキドキ待っていました。
しかし、待てども暮らせども電話が来ません。
たいがいこういうシチュエーションのときは、有っても無くても電話を頂けるのですが・・・。
すると今日、仕事から帰ってみると、八頭町から封筒が帰ってきていました。
ペラペラだったので、やっぱこりゃあダメだったか・・・と思って開封してみると、一枚ペラっと除籍謄本が!!!!!!
おぉぉぉぉ・・・戸主・竹内惣次郎って書いてある!
そうです、ついに竹内家の北海道以前の本籍が判明したのです。
残念ながら、惣次郎の養父にあたる儀三郎は壬申戸籍時代に亡くなっているようで記載はありませんでしたが、本籍地が判っただけでも満腹中枢が刺激されました。
鳥取県八東郡徳丸村に住んでいた竹内儀三郎。
その長女・たよ(1855~1942)の婿養子として、1875(明治8)年に同じ徳丸村民・中嶋藤八の次男・惣次郎(1849~1912)を迎えます。
そして1877(明治10)年に惣次郎が家督相続。事由は不明です。
その後、1898(明治31)年の届出で、北海道釧路郡鳥取村に転籍しています。
言い伝えだとその6年前くらいに釧路に来ているはずですが、だいたいどこの家も転籍手続きは遅いので普通でしょう。
そして、今回入手した除籍に記載されている人物は、全員北海道に入植しています。
果たして徳丸に血を分けた人はいるのだろうか?
徳丸村の変遷は、
徳丸村→逢郷村→丹比村→八東町→八頭町と変遷しており、現在は八頭郡八頭町徳丸として地名が残っていますね。
Googleマップで見てみると、とてものどかな風情の土地のようで、梨が名産みたいです。「道の駅はっとう」もあるよ!
こりゃあ、いよいよサムライじゃない気が・・・。鳥取の中心街からずいぶん遠いし。
でも本籍が判明しただけで、もう鳥取に行きたい気持ちでいっぱいです。
がんばってマイルを貯めないと♪
あと、ようやくクリスマスツリーを飾りましたよ\(^o^)/