ハードスケジュールな関西旅行②
いろいろな障害を乗り越え、なんとかかんとか関西旅行へ旅立てることとなった菊地家。
10月18日、クルマで釧路市→新千歳空港へ向かい、最終便で関西国際空港へ。
私は2004年に和歌山県有田市に住むイトコの結婚式で訪れて以来、13年ぶりの関西。
妻は高校2年生の修学旅行以来なので、実に22年ぶりとなります。
もちろん子どもたちは初めての関西。今までで一番西に行ったのが静岡県裾野市だったので、大幅更新です。
20時半過ぎ、空港到着。
そのまま南海電車で宿泊地である堺へ向かいます。
堺駅からホテルへの道すがら、地元スーパーで晩ごはん用に関西の肉じゃがや玉子焼きを調達。
さらにはたこ焼き屋を発見し、到着早々大阪の味を堪能することができました。
翌朝、子どもたちに「山に登るぞ~!」と宣言し、ホテル近くの日本一低い山である蘇鉄山(標高6.97m)を制覇!
子どもたちにとってはまごうことなき人生初登山でございました(^_^;)
そしてトヨタレンタカーへ。
鳥取まで行くので、今回はレンタカー移動です。
車は旧型シエンタ。
2008年の福島旅行、2015年の関東旅行に続いて、これで三度目のシエンタ。
今回は大阪ナンバーでした。
そして関ジャニ∞村上信吾ファンの妻の希望を叶えるべく、村上くんの出身地・高槻市へ。
高槻西武にあるタワーレコードが村上ファンの聖地だそうで、ついに連れてきてあげることが出来ました(^^)v
昼食は同じく西武に入っているお好み焼き屋さんで、本場のお好み焼きを堪能。店員さんがマヨネーズをシュパパパとかけるのがカッコよかった!
そして京都へ。
伏見稲荷や下鴨神社、八坂神社と、できるだけ神様にごあいさつをしてきました。
2泊目は伏見区にて過ごします。
3日目。早起きして子どもたちが行きたがっていた本能寺へ。
エクスプロージョンというお笑いコンビのネタ「本能寺の変」が大好きなので、どうしても行きたかったそうです。
でも思ってたのとは違ったようで・・・。いったいどんな想像してたんだ?
その後金閣寺に行くも、修学旅行生や外国人で大混雑。入場料払う入口まで行ったものの、そこで引き返しました(>_<)
そして、またもや関ジャニ∞絡みで右京区の「美と屋」という駄菓子屋へ。
ここは丸山隆平くんが小っちゃい時から通っていたお店。
丸ちゃんファンの聖地であります。
店内はファンが持ち寄った、丸ちゃん愛が炸裂するものばかり。
しかし、お店の店主であったおじさんが最近亡くなったばかりで、おばちゃんも元気がない様子。
元気出して!と励まして店を後にしました。ちゃっかり息子の手には大量の駄菓子が握られています。
京都市の最後は車折神社、そして同じ場所にある芸能神社。
娘の吹奏楽についてのお願いをして、京都市を後にしました。
と、その途中の宮津市にある天橋立の絶景も、ビューランドというところから無事にみられましたよ(^^)v
そして新温泉町の浜坂駅で娘の親友一家と待ち合わせ。
無事に1年ぶりの再会を果たせました(=^・^=)
すんごい遠かった~
娘の親友を借りて、その日は湯村温泉で一泊。
いよいよ翌日は親友一家と遊んだり、鳥取で家系探求したりの日です。
10月21日土曜日。
雨の予報ながらも、なんとか午前中は持ちそうな雰囲気。
まずは鳥取砂丘のこどもの国へ向かいます。
そこで親友一家と合流の予定ながらも、ちょっと遅れるとのこと。
約30分後、湯谷家のルーツである荒舟集落に到着。なかなか森に囲まれた自然豊かな集落です。
そこで最初に出会ったおばあさんに、集落の墓地はどこにあるかをたずねましたら、
「ここをまっすぐ行って、竹藪の奥にあるけんど、決して山には入りなさんな。ぜってえだぞ」
と、ミステリアスなアドバイスを受けました。なんだか怖いです(;´Д`)
そして、かつてお手紙作戦の際にご返事をいただいた親戚ではない?湯谷さんのお宅にお邪魔。
その方の息子さんがいらっしゃったので、お土産を置いてごあいさつ。
改めて墓地の場所を聞くも、荒舟集落は各家の敷地内に墓地があるということ。
でも若干ではあるが、竹藪の中にお墓が固まっているということ。
せめて、その固まっているところを探索してみますが、苔むしていてさっぱり読めません。
お墓はあきらめ、菩提寺に行ってみます。
きっと、ある程度お墓があるに違いありません。
しかし、予想は大はずれ。
お寺にあったお墓は、ご住職の一族のものと思われるもののみ。
お宅にもどなたもいらっしゃらず、荒舟はこれで詰みました(+o+)
時間も限られているので、次は八頭町徳丸へ向かいます。
ちょうど到着のころに正午を回ってしまったので、トイレがてら道の駅へ立ち寄り、それからお手紙をいただいた菩提寺で墓石調査。
しっかり中島家の墓石を発見!
直系祖先である中嶋藤八夫妻の墓石&戒名も見つけることが出来ました。
家紋は「丸に三ツ星」。
遠く北海道の釧路にも子孫が居ますよ~と心の中でアピールし、子孫の見守りをお願いいたしました。
しかしながら、帰ってからネットで検索ところ、因幡地方および中嶋家のこの紋については何も情報なし~。
竹内家については、墓石が多すぎて解らず(>_<)
家紋も釧路の竹内家では「たしか桐だったかな?」と言われていたところでしたが、「丸に蔦」や「丸に梅の花」が多くを占めており、桐紋は一つも見つけられませんでした。
最後にお寺へごあいさつに行くも、不在・・・。
せめて中島家の子孫のお宅に行くも、やはり不在・・・。
共に北海道のお菓子と名刺を置いて、徳丸を後にしました。
砂丘に戻るころには大雨に。
親友一家と昼食をいただき、砂丘を眺めてからもう一晩だけ娘の親友を預かってひとまずお別れ。
釧路人にとって重要な地、賀露に向かいます。
現在は釧路市の一部となっている私の住む旧・釧路郡鳥取町地域は、賀露港から出航した鳥取県人によって開拓された地。
雨だったので、港には行かずに神社でお参りしてきました。
そして最後に私たち一家にとって、一番西の到達点である白兎へ。
息子と、私と妻の父が兎年のため、この地にある白兎神社でお守りを授けていただきたかったのです!
この日は鳥取県で一番東に位置する岩美町の民宿で一泊。
翌日曜日は台風直撃DAY。
岩美町から新温泉町に向かい、親友とお別れ。
そのまま奈良市へ向かいます。
距離は約250km。時間にすると5時間弱をノンストップで豪雨の中を駆け抜けました。
神戸や阪神高速で渋滞に巻き込まれたりしながらだったので、北海道と勝手が違ったっす。
大雨の中、東大寺で大仏さまの優しいご尊顔を拝み、奈良公園でびしょ濡れになりながら鹿と戯れます。
そして大阪市。
最初の目的地の大阪城天守閣が台風のため閉鎖。
仕方なく、難波のホテルに荷物を置き、シエンタとお別れ。
通天閣近くの串カツ屋でコテコテの関西人に素人いじりをされたり、
通天閣のその日最後の客となり、ビリケンさんを家族で触りまくってきました。
翌日は台風一過でスタッフさんによると空いているUSJを堪能(私的には混んでますが)。
最後の最後に天王寺動物園。
小学校や幼稚園の遠足でごった返す中、コアラやキーウィの後ろ姿を拝んで釧路に帰ってきました。
家系探求的にはあまり成果はありませんでしたが、密度の濃い旅行でございましたとさ。
長文にお付き合いいただいてありがとうございました<(_ _)>