真剣に家系探求

何かの縁で北海道に集まってきた祖先の歴史を少しづつ紐解いていきます。

森井家と相木家のつながりを邪推してみる

義母の実家・森井家

戸籍上は明治20年代に石川県江沼郡菩提村(現:小松市菩提町)より、北海道茅部郡落部村野田追(現:二海郡八雲町東野)に入植。

 

義母からみて祖母の実家・相木家

戸籍上は慶応元年以前より落部村野田追に居住。

 

この2つの家。何かつながりはなかったのかと、ふと考えてみました。

 

単純な思案だと、森井家が野田追に入植した後、妻の曽祖父・森井半次郎(1882~1964)と曾祖母・相木ユキ(1886~1973)が出会って結婚(1918年)したのかと思います。

 

しかし何か引っかかりまして、相木家のルーツについて掘り下げてみました。

 

かつて、落部村に最初に入植した2件の相木家のうち、落部の戸長も務めた相木仁三右衛門家の子孫の方から情報をいただきました。

 

落部に1764年に入植する前は青森県の根岸村(現:外ヶ浜町)であったということ、おじいさんやおばあさんの話だと、さらにさかのぼると長野県佐久地方の北相木・南相木村あたりがルーツではないかということ。相木昌朝が関わっているような言い伝えのようです。

 

しかしながら、私は北前船という存在が気にかかっています。

 

北前船についてはwikipediaなどに拠るとして、その航路には野田追や石川の小松地方も含まれております。

 

森井という地名は兵庫県豊岡市出石町にあり、ここが森井姓の発祥なのではないかと勘繰っております。

もともと森井付近出身の祖先が、北前船に乗って小松あたりに居住するようになり、森井姓を名乗ったのではないかと・・・。

 

相木姓も、長野佐久あたりが怪しいと思っているのは前述した通りですが、実は現在の石川県白山市にも相木という地名があり、明治の大合併までは石川郡相木村でした。

 

ここも港に近く、北前船が寄港するような地だったのでは・・・?と想像しているところです。

 

この時代だと、もはや追う術がない気もしますが・・・。

とりあえず、石川県に行きたい(*'▽')