霞会館および柳原伯爵家より
さっぱり進展しない母方高祖父・平野儀三郎(1866~1939)の調査。
大正11(1922)年に北海道興部村へお越しになった柳原義光伯爵(1876~1946)と、儀三郎の繋がりをご存知ではないかということで、霞会館<wikipedia>へメールをさせていただきました。昨年の11月でした。
すると、ほどなく霞会館職員の方よりお返事がぁぁ(;・∀・)
「冠省 先週ご連絡を頂きました、霞会館です。
お尋ねの内容を、柳原義光伯爵の曾孫に当たる方(女性)に照会いたしました。
結果は、そもそも伯爵が北海道を旅行されたことも初めて知ったということでした。
当家も敗戦間近の空襲で戦前の資料をほとんど焼失されたそうで、逆に、曾祖父の足跡を知ることができ喜ばれておりました。
菊地様には感謝の意と、お力になれず残念ですとお伝えくださいとのことでした。 早々」
・・・ということで、情報は得られずに残念ではありましたが、お繋ぎ頂けたことだけでもありがたき幸せでございました。
もしかすると、この曾孫の方はかつて皇太子妃候補として名の挙がった方なのかもしれません(・・・と思ったら、曾孫さまはもう一世代前の方でした)。
畏れ多くてブログに書くことをためらっておりましたが、モヤモヤし過ぎてついに書いてしまいました。
あぁ、いろいろな方にご協力いただきながら、まるで儀三郎の謎について進展しない・・・。