菊地と菊池の混同(+_+)
我が家は菊地姓ですが、6代前の祖先・菊地儀右衛門(1810~1890)の実家は菊池姓。
菊地家の最古の戸籍がある現在の福島県矢祭町東舘ですが、電話帳によると44:1という圧倒的な割合で菊池姓が多いのです。
そして悪いことに、今まで集まった資料にも混同が見られます。
▼戸籍謄本(たびたび登場)は菊地
▼旧土地台帳は菊池
しかも、高祖父・菊地幸吉(1874~1959)の名前の記載について、不審なことに最初は鈴木と書かれたのが消されて菊池となっており、しかも名が「孝吉」となっています。
以前書いたとおり、幸吉の祖父・儀右衛門の実名は孝昭と推測しておりますので、もともとは孝吉だったのかも?という疑惑も湧きます。
また、喪主?の欄にも不思議な点が。明治30年の儀平のときは幸吉の兄である初太郎なのに、9年後のハツのときは次男である幸吉となっている点。
戸籍上は幸吉(大正2年転籍)のあとに屈斜路へ転籍している初太郎(大正6年転籍)ですが、もしかするとこの9年の間に東舘を離れたのかも…?
土地台帳によると、儀平が世を去った翌年に土地を手放していますし(@_@)
・・・話が脱線してしまいました( ;∀;)
そして、
▼儀右衛門の兄(と思われる)菊池友輔の墓石
▼友輔と儀右衛門の母(友元の妻)のものと思われる、嘉永年間建立のお墓に刻まれた文字は菊地
・・・というわけで、もうわたしなにがどうなっているのかわからないわ!
嘉永年間のお墓と、戸籍だけが菊地で、そのほかは菊池なのです。
ついでですが、屈斜路に転籍したあともこんな現象が。
▼1ページ目は普通に菊地
▼3ページ目右と4ページ目左の父名が菊池幸太郎
これは見開きのページになります。ただの間違いでしょうね。。。
こういったことも、混乱に拍車をかけてくれちゃっております。
事情があって時代時代で変えていたのか、間違いなのか。一体どうだったんだろう???