真剣に家系探求

何かの縁で北海道に集まってきた祖先の歴史を少しづつ紐解いていきます。

2008年1月20日の出来事

ちょうど10年前の今日はこんな日でした。

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当時生後3か月の娘を連れて、釧路空港から飛行機に乗って函館へ向かいます。

実家に帰ると、誰も居ませんでした。

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ちょうど10年前の今日は、ばあちゃんのお通夜の日。

 

もうそんなに時間が経ったんだなぁ。

 

私がついたころには、ばあちゃんの部屋から介護ベッドが消え、すっかりお迎えモードに入っておりましたね。

 

ばあちゃんは大正3(1914)年に茨城県筑波郡吉沼村牛縊(現:つくば市上里)の太田家に次女(第3子)として生を受け、10歳ころに一家で北海道網走郡女満別村本郷(現:大空町女満別本郷)に入植。

その後は野付牛町の野付牛女子職業学校(現:北見柏陽高校)を卒業し、教員の免許を取得。裁縫の先生をしておりました。

そして肋膜炎の湯治のために訪れていた弟子屈川湯で3学年年下のじいちゃんと出会います。

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結婚にあたって、いろいろ両家であったような話も聞いたような気がしますが、昭和14(1939)年に25歳で結婚して菊地家に入り、4男3女の子宝に恵まれます。

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▲これは末っ子である昭和26(1951)年生まれの父ちゃんが3歳くらいのときかな?

しかし、弟子屈の町で写真屋を営んでいたじいちゃんが借金の保証人になってしまい、夜逃げ同然でオホーツク上斜里村(現:清里町)へ移住。

その後は女満別や北見を転々とし、再び弟子屈へ戻り、じいちゃんは写真屋を再興。

昭和45(1970)年、子どもたち全員が独立してホッとしたのもつかの間、9月にじいちゃんが脳溢血で急逝。

ばあちゃんは突如未亡人となり、一人暮らしとなってしまいました。

 

翌年、弟子屈を引き払ったばあちゃんは、子どもたちの暮らす釧路市に転居。

私も家が近かったために、よく遊びに行ったり、おつかいにいったりしましたね。

ネコが大好きで、飼い猫とは別に半ノラの猫たちも家にいっぱいいたので、私がネコ好きなのはばあちゃんの仕業です。

釧路では伯父一家と暮らしておりましたが、平成13(2001)年に末っ子である私の父が住む函館に移住。

奇しくも太田の家紋である桔梗紋と同名の桔梗町で晩年を過ごしました。

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それから7年弱。94歳の誕生日目前の旅立ちでした。

まだまだひ孫たちも小さいので、目を離さずに空から見守っていてほしいものです(*‘∀‘)