真剣に家系探求

何かの縁で北海道に集まってきた祖先の歴史を少しづつ紐解いていきます。

菊地・菊池家はなぜ鷹の羽紋が多いのか?

私の菊地家、そして祖先の菊池家も、ともに鷹の羽がモチーフとなった家紋を使用しております。

何らかの形で「鷹の羽」を家紋としている家の数は、かつて何かで調べた時には、全世帯の9%くらいだった記憶があります。もちろんダントツの1位でした。

 

他の家はどういった謂れがあるかは存じないのですが、キクチ家については、太田亮先生の姓氏家系大辞典を紐解いてみます。

 

以下引用。若干読みやすいように手直ししています。

 

 

菊池氏の紋章
もと日足の紋にて、肥前大村氏、藤原隆家高木氏に同じ。

隆直(則隆-経隆-経頼-経宗-経直-隆直と繋がる、肥後菊池氏6代目)に至り、鷹の羽の紋とす。

隆直出陣のとき、霊鷹が兜に止まり、羽毛二枚を落とす。

故に取りて吉瑞(きちずい:めでたいしるし)を視し「揃い鷹の羽」を紋とし、また違い鷹の羽に改む(国史)と。

また曰く、文永二(1265)年八月、隆能(前述の隆直の孫。肥後菊地氏8代目)初めて鷹の羽を用う。或はまた經直(前述の隆直の父、菊池氏5代目)の代と為す(事蹟通考)。

蒙古戦(1293年ころ?)絵巻物・既に鷹の羽なり。

また菊池風土記「幕本紋・三亀甲、左巴、雪折篠、三篠松、開扇、鷹羽、鶴の紋。幕紋当紋・嫡子は揃鷹羽、左巴。庶子は違鷹羽、向鶴。幕紋出事・嫡子は五布掛、脇四布掛。庶子は三布掛、脇二布掛。幕縄・嫡子は左縄の定。庶子は右縄の定。同縄之色・青白黒、天地人の三才也。旗長四尺八寸、或七尺八寸、同竿長一丈三尺、或は一丈に尺八寸。手長旗三尺七寸、広一尺八寸。鎌倉伝来紋、嚞、吉文本紋也。云々。右の旗・隆直以前に用いしなるべし。隆直以後よりは、鷹の羽也。因りて太平記箱根合戦(十四巻目)の所に、鷹の羽の紋の旗一流差し揚げて、菊池肥後守武重三百騎にて馳せ参り給うと云々。春日、若宮、稲荷の三社は代々尊崇也」と見ゆ。

また見聞緒家紋には、菊池は「並び鷹の羽」。また菊の紋は後醍醐天皇より賜りたりと云うも、その実氏名によるべし。

 

むぅ。見栄切った割には読みづらいし意味が分からないところが多い(+_+)

・・・大事なのは、菊池隆直が戦に行くとき、鷹が二枚の羽を落としたというトコですね!

 

キクチ家が鷹の羽を紋とするのは、この故事からきているそうです。

 

そして嫡子ということは本家ですか、揃い鷹の羽、いわゆる並び鷹の羽ですね。

庶子というのは分家ですね、違い鷹の羽を用いていたようです。

もうそのころから、そんな感じだったのですね。

 

それから750年くらい経っているのに、それが脈々と引き継がれているのにロマンを感じるのを禁じ得ない39歳の冬。

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