大子の石井家はもともと・・・?
矢祭町史を改めて読んでおりましたところ、大子町小生瀬に在った高祖母の実家・石井家に近い、以下のような記述がありました。
年不詳【秋田藩家蔵文書】
石井兵庫伝来文書写
つくし(筑紫)豊後国より下候〇兄弟四たり名字は〇成、うち(氏)ハ平
ちゃくし石井(矢祭町石井)へ落着、
二番め山本(棚倉町山本)へおち付、
三番め田さき(茨城県那珂郡田崎村?。現:那珂市田崎)、
四番め井上(茨城県行方郡井上村?。現:行方市井上)、
石井安藤太郎生瀬(茨城県久慈郡大子町生瀬)に落着、
舎弟安藤二郎高倉(茨城県久慈郡高倉村。現:常陸太田市内)ニ、
三番め蔵主小里(茨城県久慈郡小里村。現:常陸太田市内)ニ、
・・・最後が読点で終わっているのがミステリアスですが、生瀬に落ち着いたという石井安藤太郎さんが石井家の祖なのかしら?
年不詳ですが、周りの文章が天正年間(安土桃山時代の1573年から1592年)なので、その頃の文書なのかもしれません。
だとすると、大子に来る前は福岡方面に住んでいて、本姓は「平」ということに。
いままで調べてきた中で、源平藤橘が出てきたことはありませんでした。
初めてのことですので、かな~り興味深い内容です(#^.^#)
しかも秋田藩家蔵文書というあたり、ますます不思議。
ちなみに矢祭町史の注釈だと、「田さき」と「井上」はどこだか不詳ということになっております。
カッコ内は私が勝手に一番近いところを探してみただけですので違うかもしれません。那珂はまだしも行方とかは遠すぎますし。