真剣に家系探求

何かの縁で北海道に集まってきた祖先の歴史を少しづつ紐解いていきます。

いろいろ不明な森井家年表

とりあえず年表つくるのはひと段落。妻の母方森井家です。

和暦 西暦 出来事
江戸期

森井家、加賀国江沼郡菩提村(現:石川県小松市菩提町)に居住。菩提寺浄土真宗本願寺派「牛鼻山興宗寺」。もとは月津村(現:小松市月津)の寺だが、昔々に福井市松本地区へ大谷派が同名で分離建立されたらしい。
現在判明の最古の祖先は、森井半四郎(便宜上初代とする)・志な夫妻と、父と同名の長男・半四郎(2代目)。どちらの半四郎かは不明だが、土木関係の仕事をしており、那谷寺から菩提村までの道路を造り、その功績で大きなお墓を建ててもらった。
半四郎(2代目)、坂下スエと婚姻。
半四郎(2代目)、スエの長男・半四郎(3代目)誕生。

嘉永 1853 6月3日、半四郎(2代目)、スエ夫妻の二男・半左エ門誕生。
慶応4 1868 8月12日、半四郎(2代目)逝去。
明治9 1876 6月21日、スエ逝去。
明治10 1877 3月15日、半左エ門(23)、菩提村の別番地へ分家。
明治15 1882 5月25日、半左エ門(28)・髙谷タケ(36・未婚)?の長男・半次郎誕生。
この間? ※小太郎の母がタケであることは恐らく事実であるので、少なくとも明治19年以前に半左エ門は北海道に入植していたと思われる。
明治19 1886 7月15日、半左エ門(33)・髙谷タケ(40・未婚)の二男・髙谷小太郎誕生。
明治26 1893 6月17日、半左エ門(40)、石川県江沼郡那谷村菩提より北海道茅部郡落部村字野田追無番地(現:二海郡八雲町東野)に転籍届出。
明治39 1906 1月25日、半次郎(23)・相木ユキ(19・未婚)の長男・相木勝次郎誕生。
10月23日、半左エ門(53)・タケ(60)が婚姻届出。二男・小太郎(20)も森井姓となる。タケは前夫・髙谷重太郎との間の長男・髙谷福松(42)戸籍からの入家。
明治41 1908 10月1日、半次郎(26)・相木ユキ(21・未婚)の二男・相木勝美誕生。
明治43 1910 10月11日、小太郎(24)・髙野タキ(19・未婚)の長男・幸十郎誕生。
明治44 1911 1月25日、半次郎(28)・相木ユキ(24・未婚)の長女・相木ミサヲ誕生。
明治45 1912 半左エ門(59)、明治40年に発足した落部村漁業組合の3代目組合長に就任。
大正2 1913 3月15日、半次郎(30)・相木ユキ(26・未婚)の三男・相木勝雄誕生。
5月8日、小太郎(26)・タキ(24)の長女・チヨ誕生。

半次郎一家、茅部郡落部村野田追から山越郡八雲村大字山越内村字ガンビ岱無番地(後にガンビ岱52番地→八雲町大字山越内村字野田生へ地名改正)へ転居。

石川県の森井本家、那谷村菩提より山中町山中温泉(現:加賀市山中温泉)に移住。

大正4 1915 9月9日、小太郎(29)・タキ(23)の次女・ツナ誕生。
大正5 1916 2月1日、半次郎(33)・相木ユキ(29・未婚)の次女・相木イサヲ誕生。
3月17日、ツナ(0)、落部村字野田追29番地において夭折。
7月26日、チヨ(3)、落部村字野田追29番地において夭折。
大正6 1917 1月24日、小太郎(30)、髙野タキ(26)と婚姻。落部村字野田追1番地に分家。
大正7 1918 1月14日、半次郎(35)・相木ユキ(31)が婚姻届出。同時に勝次郎(11)、勝美(9)、ミサヲ(6)、勝雄(4)、イサヲ(1)の5人も森井姓となる。
2月28日、半左エ門(64)隠居。半次郎(35)が家督相続。
4月30日、隠居したばかりの半左エ門(64)・タケ(72)が分家し、翌日廃家届出とともにタケの前夫・髙谷重太郎との二男・髙谷玉蔵(42)家に入家。
7月24日、半次郎(36)・ユキ(31)の四男・貞雄誕生。
大正10 1921 2月12日、半次郎(38)・ユキ(34)の五男・義雄誕生。
大正11 1922 2月6日、タケ(76)、茅部郡落部村字野田追29番地・髙谷家にて逝去。
2月17日、半左エ門(68)、茅部郡落部村字野田追29番地・髙谷家にて逝去。
大正12 1923 4月11日、半次郎(40)・ユキ(36)の三女・トヨ誕生。
大正13 1924 8月15日、勝次郎(18)、山越郡八雲町大字八雲村字遊楽部108番地にて逝去。
昭和2 1927 1月5日、半次郎(44)・ユキ(40)の六男・武義誕生。
昭和4 1929 3月10日、半次郎(46)・ユキ(42)の七男・秀雄誕生。
昭和6 1931 9月22日、ミサヲ(20)、石川県金沢市成瀬町・浅川榮治と婚姻。
昭和7 1932 1月7日、半次郎(49)・ユキ(45)の八男・武雄誕生。
昭和10 1935 10月2日、勝美(27)・田中キクノ(19・未婚)の長女・澄子、山越郡八雲町大字八雲村字砂蘭部無番地において誕生。
10月2日、勝美(27)、田中キクノ(19)が婚姻届出。田中家のある山越郡八雲町大字八雲村字砂蘭部無番地に居住。
昭和12 1937 7月18日、勝美(28)・キクノ(21)の長男・訓治誕生。
    12月17日、半次郎(55)一家落部村字野田追29番地より釧路市春採231番地へ転籍。ともに勝美(28)一家釧路市へ転住。
昭和14 1939 8月15日、勝雄(26)、釧路市春採259番地・柿﨑チヨ(18)と婚姻。
勝雄夫妻、八雲町大字山越内村字野田生へ転住。
昭和16 1941 1月17日、勝雄(27)・チヨ(19)の長女・美智子誕生。
5月25日、美智子(0)、亀田郡亀田村字赤川通にて夭折。
昭和17 1942 8月13日、勝雄(29)、チヨ(21)の次女・トシ子、八雲町大字山越内村字野田生にて誕生。
昭和18 1943 6月18日、貞雄(25)、河東郡士幌村中音更・小林タカオ(21)と婚姻。
9月18日、イサヲ(27)、栃木県下都賀郡寺尾村・細川麻三と婚姻。
昭和19 1944 2月19日、トヨ(20)、釧路市・井上光雄(23)と婚姻。
4月26日、義雄(23)、南方方面にて戦死。
11月12日、勝雄(31)・チヨ(23)の三女・照子、釧路市春採231番地にて誕生。この時点で勝雄一家釧路市に再度転住している。

石川県には森井姓がごく少ないことから、本貫地は他所であると考えていますが、それがどこなのか・・・、関西地方ではないかと推測しておりますが。

加賀時代は土木もやっていたようですが、妻の高祖父にあたる半左エ門は漁組の組合長になるほどだったので、おそらく船乗りの素養があったのでしょう。

以前も記述しましたが、北前船があやしいのではないかと睨んでいるからこそ、そう思っているのですけれど。

兵庫県豊岡市出石町に森井という地名がありますが、ほかにも消えてしまった小字などで森井という地が存在したりするのかしら?