真剣に家系探求

何かの縁で北海道に集まってきた祖先の歴史を少しづつ紐解いていきます。

磐城国白川郡関岡村【菊池家】

私の姓は菊地といいますが、元はといえば私からさかのぼること7代前の菊地家のご先祖さま・菊地儀右衛門(1810~1890)が菊地家の養子に入ったことによります。

養子に入る前の儀右衛門の姓は菊池といいます。文化7年に磐城国白川郡関岡村(現:福島県東白川郡矢祭町関岡)の菊池友輔の三男として誕生しました。ただ、当時は菊池の姓を名乗っていたかはわかりませんが・・・。

また、儀右衛門が生まれた頃の関岡村は幕府領(塙代官所支配)であったようです。

その後、年代は不明ですが、東舘村の菊地藤兵衛の養子に入った後、同じく東舘村の藤田傳五右衛門の長女・ヤス(1813~1901)と結婚します。子供は私が確認できたのは長女・ハツ(1852~1906)と、三女・シモ(1866~?)だけです。

また、この夫妻は儀右衛門が享年80歳、ヤスが享年88歳。当時としてはとても長寿なのではないでしょうか。

長女・ハツは上関河内村近藤儀平を婿養子として迎え、菊地家を継ぎます。

また三女・シモは儀右衛門の没後、明治28(1895)年に29歳で茨城県久慈郡小里村徳田(現:常陸太田市徳田町)の菊池市之右エ門に嫁ぎました。またここで菊池姓が出てきましたが、関係があるかは不明です。

当時の戸籍の届出がどのような感じであったかはわからないのですが、もしどちらかでも間違っていたら?元々は同じ姓だったとしたら?と・・・いろいろ推察してしまいます。

実は私はよくダイレクトメールだとか、電話で苗字だけ告げたりすると「菊池」と書かれた郵便物がよく届くので、何となく菊池という姓をライバル視していたのですが、この家系の事実を知るにつけ、そういった感情はなくなりました。むしろとても嬉しく感じたものです。

・・・というわけですが、現状では私のご先祖さまである菊池家については関岡村の菊池友輔という名以外は何も手がかりがありませんので、もし奇跡的にご存知の方がおられましたらご一報いただきたく思います。


<菊池家直系系譜>
菊池友輔→三男:菊池儀右衛門(菊地儀右衛門)・・・。
家紋:不明