真剣に家系探求

何かの縁で北海道に集まってきた祖先の歴史を少しづつ紐解いていきます。

相木家の手がかり!

私と妻の家系を調べ始めて、約3年。 始めるきっかけとなった長女も、ついにこの間3歳の誕生日を迎えました。

ここまで大きな病気も無く、毎日元気に笑って、走って、泣いて、踊っています。

そんな感慨深い出来事のあと、明日からタバコが値上げ・・・。私は自動車学校でタバコを覚え、これまで14年間吸ってきているわけですが、 最初に吸っていた黒いボックスのJPSは当時230円でした(煙がウ○コの匂いみたいといわれながらも好んで吸っていました)。

極貧の学生時代、ご飯を我慢してまでもJPSを優先。今はラークメンソール(7ml)を吸っています。 肩身が狭い中、仕事をちょっと抜け出して気分転換に吸うのが、 ストレス発散にもたぶんなってるんじゃないかと。

そんなタバコ好きですので、今回の値上げでも変わらず吸い続けます。

もちろん、吸わないにこしたことはないのは判っておりますので、 家のローンが払えなくなったり、娘に「タバコやめて!」とか言われれば、その時は考えるんでしょうね。 あぁ、そう遠い未来ではない予感。

と、・・・まったく話がかわりますが、 今まで調べて判明した、娘に繋がる姓を数えると62もありました! その中には、岩手の千葉家や新潟の皆川家のように史料が残されていて、かなりの代を遡ることができた家もあれば、 妻の母の系統のように、戸籍の消失や本家の地が不明などで、ほとんど情報が無いところもあります。 そんな折、妻の母方祖父の母の実家・相木家についての手がかりでは!?と思える記事を見つけました。

warp.da.ndl.go.jp

苫小牧の隣の白老町の広報記事の中に、「相木さんが馬の歴史語る」という題で、白老の相木さんが馬産の歴史を語っておられます。

時系列にポイントを纏めると、

・信州で1450年代から武士として馬にかかわり、武田家や織田家などの戦国武将に仕えていた。

・佐久の浅間山麓の相木村で木曽駒を生産。

・兄と弟が徳川と豊臣に別れて戦ったことで村を追われる。

尾張に逃げると偽り北へ向い、南部へ。

・竜飛岬から冬の荒波の中、17頭の馬をいかだに乗せ松前まで運んだが、上陸時には馬が7頭しか残らずに馬を食料として越冬した。

・最後に落ち着いたのが落部(おとしべ)の部落。

かつて調べたときには、落部の相木家は青森からきたのでは?と推測していました。

今回の記事内容を足すことにより、 信州より1600年前後?に青森へ向かい、1764年頃に落部へ・・・、と膨らみました。

ただ、この推測は1764年に落部に来た相木仁三衛門もしくは相木久右衛門が祖先である場合ですが・・・。 少なくともあまり多い姓ではないので、確率は高いような気がしています。 もう少し調べてみよう!