真剣に家系探求

何かの縁で北海道に集まってきた祖先の歴史を少しづつ紐解いていきます。

菊地家の長老

家系探求という趣味をもって、早15年。

興味を持つきっかけとなった長女も、今や中学3年生。来年には高校受験が待っています。

 

その長女が生まれる前でした。家系のことを父に聞いたとき、父は自分のじいさんの名前もわからないくらいでしたので、誰か詳しい人はいないかと聞いてみたのですね。

 

それで紹介されたのが、祖父・菊地幸松(1916~70)の末の弟である高幸。通称、高おじさん。

 

じいちゃんよりも9歳下の高おじさんは、わたしの住む釧路市から北に70kmほどの弟子屈町在住。菊地家が北海道で初めて鍬を下ろしたマチに住んでいました。

 

高おじさんを訪ねてみると、わたしが産まれたときに釧路にちょうど居て、抱っこしてもらったり、おむつを替えてもらったこともあるとのこと。

すでにじいちゃんが亡くなっているいま、まさにじいちゃん代わりとなる存在になってくれました。

 

耳が遠いせいか、声がやたらとでかい元気な高おじさんは、屈斜路の墓参りに付き合ってもらったり、長女の発表会に来てくれたり、家を新築したときはお祝いに駆けつけてくれました。

なにより、高おじさんがおぼえていることをたくさん伝承してもらうことができました。

 

そんな高おじさんが調子を崩しているのを知ったのは、今年の1月。

弟子屈に住んでいた伯父(父の長姉の夫)が亡くなった際、高おじさんの家に寄ると、おばさん(高おじさんの妻)しかおらず、「じいちゃん意識なくて危ないんだ」とのこと。

何かあったら教えてね、とおばさんに伝えて帰ったのですが、その後、ハトコ(高おじさんの孫)からSNSを通じて情報があり、「じいちゃん復活したみたいです!」と。

 

その後は連絡がなかったので、きっと元気になったんだなって思っておりました。

 

しかしこないだの土曜日、盆の墓参の際に高おじさんの家を訪問すると、高おじさんは仏さんになっておりました。享年97。数えでいうと98歳。

あと2年がんばったら100でしたね。

 

たくさんのぬくもりと知識をくれた菊地家の長老。

 

いつか来るのはわかっていましたが、ショックでした。ショックというかがっかり?そんなあっけなく逝ってしまうなんて、おじさんらしくないですもん。

 

最後にあったのは、コロナが世の中を席巻する前、令和元年の秋。

曾祖母の実家である屈斜路の藤田家へ、高祖父の遺影を見せてもらいに行った際に付き合ってくれたのが最後でした。

 

 

最後まで協力を惜しまずにくれた高おじさん。

じいちゃんはわたしが産まれる前にすでに亡かったことから、ほんとのじいちゃんのように思い、そして高おじさんもそれがわかっているかのように応えてくれました。感謝しかありません。

 

天国で安らかに過ごしてほしいという思いと、天国でいろいろ情報を仕入れて、わたしが新たな事実に向かえるように導いてほしいな!っていう勝手な思いがよぎります。

これからもよろしくね高おじさん!

 

8年前の2014年4月12日撮影