真剣に家系探求

何かの縁で北海道に集まってきた祖先の歴史を少しづつ紐解いていきます。

娘、憧れの舞台に立つ!!

小4の頃から吹奏楽を始め、トランペットを吹いていた娘。
そのころから、釧路の強豪校である北陽高校にあこがれを持っていました。

北陽でトランペットを吹きたい!

しかし中学校に上がったとき、トランペットの枠はひとつ。

いろんな思いから泣く泣くトランペットを諦め、3年間フルートをがんばりました。

そして北陽高に合格し、吹奏楽局へ入局。

当初はまたトランペットの枠が足りずにほかの楽器に・・・、という流れだったのですが、先生の計らいで3年ぶりのトランペット返り咲き!!

それからこれまで、毎日毎日休みのないハードなスケジュールをこなしてきました。

7月の末には全道大会行きを決めた日に、鹿児島での総文祭(マーチング部門)に向かっていきました。

 

 

しかも帰りの乗り換えのときに羽田空港が雷雨で全便欠航。

娘は翌日の一番遅い便で新千歳空港に飛び、そこから高速バスで深夜にかえってくるという悲惨なことに。

そんなたいへんな状況に置かれても、娘はへろへろながらもがんばっていました。

そして迎えたきのうは釧路市民文化会館での北陽定期演奏会

憧れ続けたステージに、ついに娘が立ったのです。

 

 

娘はそういった感情ではなく、とにかくがむしゃらに突き進むだけだったでしょうが、親としては感無量。

 

先月亡くなった義父も、きっと初孫のトランペットを聴いていてくれたでしょう。

 

きょうから3日間はひさしぶりのまとまった休みだそうで、しっかり休んでもらいたいです。宿題は一つも手がついてないらしいですけど。

義父、逝く

2023年7月3日。

妻の父が天へと旅立ちました。満71歳、行年でいうと73歳。

初孫が生まれるちょっと前の2007年から癌と闘い、16年間。大健闘です。

 

最後の1か月は、自宅に戻っての緩和ケアで過ごしました。

義実家は近所なので、先週末は義父に寄り添い、亡くなる前日は21時ころに家に帰りました。

その後まもなくして連絡があり、急遽実家に舞い戻ります。

 

みんなで手を握ったり、「じいちゃんありがとう!」と声をかけたりして号泣。
まさに涙々のお別れを迎えようとしていました。

しかし、なんだか少しずつ元気になってきて、「おしっこしたい」とか言い出します。
その後は昼間と変わらない様子に。しばらくしてから再び家に帰りました。

 

亡くなったのは翌日16時ちょっと前。

お義母さんが横でうたたねをし、孫たちが遊ぶ声を聞きながら、誰にも気づかれずに逝ってしまいました。

前夜に開催された涙々のセレモニーで満足したのかもしれません。

眠るように、穏やかな表情でした。


ちなみにそのころ私は職場におり、義妹から職場へ来た電話で「帰ってきたほうがいいと思う」旨の連絡を受け、娘を高校に迎えに行こうとしました。

その道中、通勤用の愛車・ラピュタ君のエンジンもおかしくなり、ぜんぜん吹けない状況になってしまいました。たぶん点火系のトラブル。なんちゅうタイミングか!

這う這うの体でなんとか実家に辿り着き、義父の死を知りました。

 

それからは怒涛の日々。人が死ぬって、やっぱりたいへんなイベントだなって心から思いました。

これからはひとりになってしまったお義母さんをサポート。

寂しさを紛らせるよう、楽しく、元気に過ごしてもらいたいと思います。

 

そしてお義父さん。

お義父さんが居なかったら、かわいい子どもたちも産まれませんでした。

そしていつ動けなくなるかわからないからと、いっしょにたくさん色んな場所に旅行に行きました。

そうじゃなかったら、こんなにいろんな景色を見られなかったと思います。

いろいろありがとう。

これからは、空から家族を見守る役目をよろしくおねがいしますね。

 

デジミさんありがとうございます!!!

ことし、管理職に上がってしまったんですよ。

 

そしたら、今までの仕事+管理職の仕事ということになってもうたいへん(-_-;)

 

しかも、事務処理ミスや議会も重なってしまい、血反吐を吐く毎日でございます。

 

そんな中、うれしいことが!

 

books.rakuten.co.jp

 

お世話になっているデジミさんの本に、ウチの父ちゃんとばあちゃんの写真をカラー化したうえで載せていただいたのです!

 

ウチのじいちゃんは弟子屈町で写真館を経営しておりましたので、おそらくそこでじいちゃんが撮影したものだと思います。もちろん元はモノクローム

7人きょうだいの末っ子のとうちゃん。昭和26(1951)年生まれですので、おそらく昭和29~30年頃かな?

ばあちゃんはめっちゃいい顔してるし、とうちゃんはやんちゃに忍者ごっこしてるし、きっとじいちゃんもこの後ろにニコニコしながらいるんだなって思うと、うれしくなってきます。

 

よい記念になりました(#^.^#)

山形からのお便り

家系のインデックス 

 

3年前の秋、東北4県旅行のときに訪れた山形県最上郡大蔵村

妻の母の母・森井チヨ(1921~81)が生まれ育った、柿﨑家のある地です。


大蔵村の戸籍を辿ると、1915(大正4)年に村役場の火災により、それ以前の戸籍は焼失してしまっているという残念な状況でした。

現存している最も古い戸籍の戸主はチヨの曾祖父である柿﨑権兵衛(1846~1929)。

その実父として柿﨑五三郎、養父として柿﨑権兵衛の名が記されています。

おそらくは、五三郎の三男として生まれ、権兵衛家へ養子に入った際に同名を襲名したのだと考えます。


おととし、権兵衛の実父である柿崎五三郎のご子孫宅にお邪魔した際、焼失する以前に取得した1906(明治39)年に取得した戸籍謄本を見せていただくことができました。

その戸籍の戸主は柿﨑榮助で、実父は柿﨑兵三郎。養父として五三郎(1826~1911。ちなみにその父も五三郎)がご隠居として記載されています。

 

年代を鑑みるに、ご隠居の五三郎は権兵衛の父、榮助の実父である兵三郎はおそらく兄にあたると思われました。

なので、柿﨑五三郎の息子が五三郎、兵三郎、権兵衛というように想像。

襲名しているとややこしくなります。。。


訪問の際、いろいろと振舞ってくださった柿崎家のご当主でしたが、その1年後に妹さんよりお便りをいただきまして、ご当主が70代前半で急逝されたとの報。

ショックを受けると同時に、お会いすることが間に合ったことが奇跡だとも思いました。

その妹さんが、親戚に私の知る限りで作製した系図を配布してくださったおかげで、もうひとりの人物と知り合うことができました。


山形市の石澤さん。

80に近い年齢ながら、私の系図を基に、さらに踏み込んだ調査をしてくださった女性。

子どものことから謎だった親戚関係が、私の系図で明確になったとおっしゃられるのです。

祖先の探求をしているところで、こういった形でお役に立てるとは、こんなにも嬉しいことはないですね♪


石澤さんに伺うと、五三郎家は庄屋であった「柿﨑弥左衛門」の子孫だとのこと。

弥左衛門は、天保の大飢饉の際に私財を投げ打って民衆を助けたということが遺されています。

しかし残念ながら、五三郎からどのように弥左衛門に繋がるかは不明・・・

そうなのか~!そこを解き明かすのはかなりむつかしそうです。


石澤さんにはいろいろな資料をいただきまして、その中にはお墓に入っている人の一覧もありました。

大蔵村の墓石には、「○○家」と家紋と建立者くらいしか刻まれておらず、いかにも隠れ里といった趣きだったので、これは貴重な資料でした。

ぜひまた山形に行って、石澤さんにお会いしたいものです。


そのときは、ヘクサンボ(大蔵村ではカメムシのことをそう呼ぶらしい)のあんまりいない季節に行きたいな。

芋煮もまたたべたいし!

菊地家の長老

家系探求という趣味をもって、早15年。

興味を持つきっかけとなった長女も、今や中学3年生。来年には高校受験が待っています。

 

その長女が生まれる前でした。家系のことを父に聞いたとき、父は自分のじいさんの名前もわからないくらいでしたので、誰か詳しい人はいないかと聞いてみたのですね。

 

それで紹介されたのが、祖父・菊地幸松(1916~70)の末の弟である高幸。通称、高おじさん。

 

じいちゃんよりも9歳下の高おじさんは、わたしの住む釧路市から北に70kmほどの弟子屈町在住。菊地家が北海道で初めて鍬を下ろしたマチに住んでいました。

 

高おじさんを訪ねてみると、わたしが産まれたときに釧路にちょうど居て、抱っこしてもらったり、おむつを替えてもらったこともあるとのこと。

すでにじいちゃんが亡くなっているいま、まさにじいちゃん代わりとなる存在になってくれました。

 

耳が遠いせいか、声がやたらとでかい元気な高おじさんは、屈斜路の墓参りに付き合ってもらったり、長女の発表会に来てくれたり、家を新築したときはお祝いに駆けつけてくれました。

なにより、高おじさんがおぼえていることをたくさん伝承してもらうことができました。

 

そんな高おじさんが調子を崩しているのを知ったのは、今年の1月。

弟子屈に住んでいた伯父(父の長姉の夫)が亡くなった際、高おじさんの家に寄ると、おばさん(高おじさんの妻)しかおらず、「じいちゃん意識なくて危ないんだ」とのこと。

何かあったら教えてね、とおばさんに伝えて帰ったのですが、その後、ハトコ(高おじさんの孫)からSNSを通じて情報があり、「じいちゃん復活したみたいです!」と。

 

その後は連絡がなかったので、きっと元気になったんだなって思っておりました。

 

しかしこないだの土曜日、盆の墓参の際に高おじさんの家を訪問すると、高おじさんは仏さんになっておりました。享年97。数えでいうと98歳。

あと2年がんばったら100でしたね。

 

たくさんのぬくもりと知識をくれた菊地家の長老。

 

いつか来るのはわかっていましたが、ショックでした。ショックというかがっかり?そんなあっけなく逝ってしまうなんて、おじさんらしくないですもん。

 

最後にあったのは、コロナが世の中を席巻する前、令和元年の秋。

曾祖母の実家である屈斜路の藤田家へ、高祖父の遺影を見せてもらいに行った際に付き合ってくれたのが最後でした。

 

 

最後まで協力を惜しまずにくれた高おじさん。

じいちゃんはわたしが産まれる前にすでに亡かったことから、ほんとのじいちゃんのように思い、そして高おじさんもそれがわかっているかのように応えてくれました。感謝しかありません。

 

天国で安らかに過ごしてほしいという思いと、天国でいろいろ情報を仕入れて、わたしが新たな事実に向かえるように導いてほしいな!っていう勝手な思いがよぎります。

これからもよろしくね高おじさん!

 

8年前の2014年4月12日撮影

血縁者が甲子園で完投勝利!

きのうの

第104回全国高等学校野球選手権大会

いわゆる甲子園。

 

 

なんということか、母方平野家のイトコの長男坊(私の母の姉の長女の長男)が出場したのです。

 

しかも、エースとして⚾

 

きのうの第2試合は、トーナメント1回戦最後の試合として組まれていました。

聖望学園(埼玉)—能代松陽(秋田)のカード。

 

その聖望学園のエース・岡部大輝(3年)がその人。

 

親等でいうと5親等になります。

 

 

埼玉県大会の決勝戦では春4強の浦和学院を相手に、味方の挙げた1点をわずか4被安打でしのぎ切り、学校としては13年ぶり4回目の甲子園切符を手に入れました。

 

sportiva.shueisha.co.jp

 

そして甲子園初戦となったきのう。

5回まで能代松陽打線をノーヒットに抑え、6回に2点を失ったものの、江口主将の好リードや、バックのノーエラーという堅い守備にも助けられ、9回110球という打たせて取る省エネピッチングで完投勝利!

www.hb-nippon.com

 

岡部大輝の父は東京都檜原村の出身。

 

名字研究家の森岡浩先生にお尋ねしたところ、

檜原村の「岡部」は藤原南家の末裔と伝え、戦国時代は甲斐武田氏に仕えていました。武田氏滅亡後、檜原村で帰農した旧家で、一族は周辺に広がっています。」

 

・・・とのこと。

 

戦国最強の武田家に仕えていたという歴史が凝縮されているような、どっしりとしたマウンドさばきはまさに風林火山

 

 

聖望学園の次戦は、その前の試合で旭川大学高(私の地元であり、大輝の母の出身地でもある北北海道代表)を破った絶対王者大阪桐蔭との対決!!!

 

大阪桐蔭にもいつものポーカーフェイスのまま挑んで、すばらしい仲間たちと1試合でも多く楽しんでほしいです。

 

2022/8/20追記:聖望学園0-19大阪桐蔭

大阪桐蔭の強さは認識していましたが、まさかここまで差がつくとは・・・

www.nikkansports.com

大輝の落差のあるスライダーも捉えられてましたし、打線は大阪桐蔭の先発・前田くんのテンポのいい勢いのあるピッチングに翻弄されてしまいましたね。

しかも、その大阪桐蔭も準々決勝で下関国際(山口)に敗れるという!

あとは菊地のルーツ、福島県代表・聖光学院を応援するしか!

あれからずいぶん経った気がする・・・

嗚呼、最近はなんだか仕事に忙殺されている・・・

去年の秋、そんな状況になりかけの時に無理やり休暇を取って関東に行った話をできずじまいのまま、こんな時期になってしまったなぁ・・・

 

もう忘れかけてることもあるので、その思い出を備忘録的につらつらと綴ってみます。

 

その日は仕事や学校など、日常を送ったのちに釧路から羽田空港へ。

羽田で電車に乗る時は、もうこんな時間でした。

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そして電車を乗り継いで中野坂上まで行き、23時台で唯一営業してくれていたニコニコレンタカーでフィットをレンタル。

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初めての練馬ナンバーです。

そしてこれも初めて。中野長者橋から高島平まで首都高に乗ります!!

めちゃめちゃ緊張して乗ったんですが、思ったよりも走りやすかったかも・・・(;'∀')

 

日付が変わってしまったあと、初めて埼玉に足を踏み入れました。

初埼玉は朝霞市北朝霞駅の近くの宿に。

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翌日は、寝不足のまま小江戸・川越に。

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川越市役所の駐車場に停めて、川越城~七五三でごった返す氷川神社熊野神社と訪れ、街へ。

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風が強くてちょっと寒かったですが、晴れていて気持ちの良い川越食べ歩きでした。芋ばっかり食べてたような気がしますが。

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なお、この日は朝霞~川越~練馬西大泉~田無~川崎が目的の地。

17時に千葉市に住む義妹一家と川崎市で待ち合わせをしています!

 

予定通り12時半ころに川越を出た菊地一家。

そこから祖先の地へ向かいます。

 

まずは東京練馬区の西大泉でわたしの母方・平野家の墓参。

ここには私から見ると、母の父の父の母の父とその前の世代が眠っています。

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8年前はセブンイレブンの敷地内だったんですが、いまは空き店舗になっておりました。

ほんとはここで菩提寺に寄りたかったのですが、時間が無くてパス!

 

14時にお邪魔する約束をしていたのですが、10分遅れで西東京市田無の新倉家に向かいます。

新倉さんは、わたしの母方高祖父の兄の子孫。

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こんな感じで、いうなれば「またまたハトコ」。親等でいうと10親等ですね。

都内で有数のハーブ農家ニイクラファームとして、都内の有名レストランをはじめ、新倉家で生産したハーブは、全国で消費されています。

 

新倉さんに、墓地を案内していただきました。

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さらには田無神社の案内も。

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最後はハーブ畑で収穫体験をさせてくださいました!

娘は「ずっとここに居たい~」と、良い香りのする畑を堪能。

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この時点で時計を見ると16時。

事前にGoogleマップで調べて田無から川崎までの所要時間は見ていたのですが、75分ほどかかる見込みだと思っておりまして、ちょっと待ち合わせには間に合わないかな?と聞いてみたところ・・・、新倉さん曰く「2時間で行けるかなぁ?」と、私的にびっくり情報!

やっぱり土地勘がないとこういう強行軍はスケジュールが狂ってきますね💦

せっかくの邂逅でしたが、後ろ髪ひかれる思いで新倉家を後に。川崎へ急ぎます!

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首都高からきぬた歯科の看板がそこかしこに見え、なんじゃこりゃ?と思いながら走っていました。

そんなこんなでしっかり2時間かかりましたね。さすがに地元の人。経験値が違います。
義妹夫婦も川崎に着くのが遅れたので、なんとかそんなには待たせずに済んだのが幸いでした。

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この日は、ヤクルトがオリックスを破って日本一を決めた日に!

最下位から日本一・・・。今年は我が横浜DeNAも続いてほしいなって思います(*'▽')

 

翌日は、息子待望の藤子・F・不二雄ミュージアムへ。

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そして、ここでお別れだねと、あっという間に義妹夫婦との別れのとき。

事件が起きました。

クルマをミュージアム近くの駐車場に停めたのですが、金額をみてなかったんですね。

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10分300円!?

この際の駐車料金は6,000円!

あまりの衝撃でしたが、都会じゃこんな相場なのですかね・・・(+_+)

でも時間はお金じゃ買えませんから、仕方ない!!

 

義妹夫婦と別れた後は、渋谷へ向かいます。

渋谷区役所の駐車場に停め、明治神宮の参道のあまりの広さに辟易したり、

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渋谷のパルコにあるニンテンドートーキョーに行ったりしました。

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そして中野坂上まで行って約166kmを共にしたフィットを返却。

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中野ブロードウェイに初潜入し、少しでしたが懐かしの「まじかるタルるートくん」展を堪能!

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その翌日は六本木ヒルズでの「鬼滅の刃」原画展(私はマンガもアニメも見たことないですが)。

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スカイツリーカービィカフェ。

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関東を満喫して日常へ帰ってきました。

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そのあとからは忙殺されてしまう運命なのはうすうす感じておりましたが・・・。

そのせいもあり、新倉さんに案内してもらったお墓などの整理もぜんぜんできていないまま、今に至ります。

はやく時間と心の余裕が欲しいなぁ。。。