真剣に家系探求

何かの縁で北海道に集まってきた祖先の歴史を少しづつ紐解いていきます。

時間とともに記憶が失われていく・・・

かつてお世話になった、私から見ると母→母→父→母→母である鹿島モトの実家・如澤家のご当主でいらっしゃった、中之口村最後の村長、如澤寛さん。

 

いちど、お目にかかれることを願っていたのですが、ことしの2月に亡くなられたとのこと・・・

こうして、どんどん大切な記憶が失われて行ってしまうのですよね。。。

ご芳志のおねがいです!


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娘が局長を務めている釧路北陽高校吹奏楽局が、昨年の大会で全国高校文化祭出場を決めました。


しかし、このご時世で遠征費用が莫大となり、7月に開催地の香川県まで行くことができるかも微妙な情勢。。。

 

そこで、みなさまに心からのお願いです。

 

一口3,000円で、ご芳志を募らせていただいております。

 

私事ですが、ことし3年生に上がる娘は最後の全国大会。
共に青春を過ごしている仲間全員と香川に行かせてあげたい!

 

 

ご助力いただけますと、幸甚に存じます。

2025年は良い年になりますように!!!

昨年は悪魔に魅入られた年でした。

それを取り返すためにも、多方面にアンテナを張って、とにかく高2の娘を希望の進路に乗せるのが今年の絶対目標。

 

娘は小学4年生のときに吹奏楽を始め、トランペットを吹いておりました。

そして翌年のトランペットを手に入れ、5年以上経った今でもきれいに使ってくれています。

 

そんなトランペットが不調だったときに、近所のヤマハで修理してもらったことがありまして、修理から上がってきたトランペットを吹いてみて、娘はいたく感動したのです。

 

そのときから、楽器のリペア師を志すようになりました。

 

中学校ではフルートに配属され、3年間はフルートを吹いておりましたが、強豪釧路北陽高校でトランペットを吹くのを夢見て、その夢をかなえました。

 

そして3年生が引退したのち、娘は吹奏楽局の局長となり、今はとても苦労しながらがんばっているところです。

来年は香川で開催される高文祭に参加します。

 

そしていよいよ進路を決めるタイミングとなってきて、リペア師となるにはどんな選択肢があるかを調べたところ、どうやらそういう学校は日本にはあまりなく、静岡県磐田市にあるヤマハの管楽器テクニカルアカデミーと、岐阜県大垣市にある大垣女子短期大学が現実的な候補に。

 

先月、オープンキャンバス的なイベントがあったので、妻と娘とで行ってきたのです。

釧路→羽田空港、浜松まで新幹線。

小林駅からの交通手段はタクシーのみ・・・?

 

Googleマップで調べたところ、小林駅までは徒歩55分とのこと!!

 

集合時間は朝9時。一歩間違うと間に合わないので、浜松駅前で軽自動車をレンタルしてヤマハ豊岡工場まで行ってもらうことに。

定員20名、1年制の少数精鋭校ですが、もうすぐ終わる今年度は、現在9名が在籍。

来年度や再来年度はわかりませんが、あまり人数が少ないと、気の合う仲間ができるか不安になってしまいます。。。

 

あとは大垣のオープンキャンバスなのですが、金銭的に行かせてあげられるかが不透明な状況。

 

こ御神籤を信じて、諸事叶うことを祈ります!

いまいちな近況

かつて長時間の激務のせいで発症した不安神経症と、早13年付き合いながら生きています。

飲んでいる薬(エビリファイやブロマゼバムなど)の副作用は体重増加と眠気。

体重は20kg(75kg→MAX106kg!現在は95kg)増え、眠気に至ってはキーボードを打ちながら寝落ちしてしまったり、ひどいときはお客さんを待たせてるのに寝落ちしてしまったり…制御の効かない状態で、まわりに申し訳ない気持ちでいつも過ごしています。そんなのは社会人として非常によろしくないっすね・・・

 

さらに昨年管理職に上げられてからの仕事量や精神的負担の激増により体調がみるみる悪化。

先週、慢性心不全の診断を受けてしまいました。

もう治ることはなく、心臓のパワーが落ちていくのを緩やかにするしかないそうでして、それを知った時は頭が無になる感じでショックでした。

なるべく平静に過ごさなくてはならないのですが、管理職ですし、さらには不安神経症というむやみにドキドキしてしまう病気もある以上、なかなかそうもいきません…

しかも心不全の薬、エンレストも眠気を催すとのことで、完全に眠気に包囲された状況。

 

そして、夜はいろんなことを考えてしまって眠れない…

娘は高2、息子は中1、まだまだ家族のためにけっぱんないばならないのに、こんな状態でそのミッションをこなしていけるか、不安で不安で泣いちゃいそう。

 

しかも管理職に上がったら超勤代がなくなり、月44,000円の管理職手当でサブスク超勤。年収100万くらい下がっちゃったし( ;∀;)

 

せめて最初に精神病を発症したときに労災を申請できていればよかったのですが、こういうのでも労災になると知った数年後に認定を求めて動いたものの、超勤の記録は廃棄されており、発症当時の所属長は協力してくれず、診断書発行のお金を無駄にしただけでおじゃんに。

 

しかも、通っていた昭和クリニックは先生が亡くなってしまい、釧路の他の精神科は新患を受け入れておらず、いまは片道2時間かけて帯広の精神科まで通っています。しんどい。

 

いまは職場の方々に我慢していただいており、申し訳なく感謝しながら生きているのですが、ずっとこのまま過ごしていけるとは考えづらいし…

 

あぁ…眠れなくてグチグチ書いてしまった…

 

娘、憧れの舞台に立つ!!

小4の頃から吹奏楽を始め、トランペットを吹いていた娘。
そのころから、釧路の強豪校である北陽高校にあこがれを持っていました。

北陽でトランペットを吹きたい!

しかし中学校に上がったとき、トランペットの枠はひとつ。

いろんな思いから泣く泣くトランペットを諦め、3年間フルートをがんばりました。

そして北陽高に合格し、吹奏楽局へ入局。

当初はまたトランペットの枠が足りずにほかの楽器に・・・、という流れだったのですが、先生の計らいで3年ぶりのトランペット返り咲き!!

それからこれまで、毎日毎日休みのないハードなスケジュールをこなしてきました。

7月の末には全道大会行きを決めた日に、鹿児島での総文祭(マーチング部門)に向かっていきました。

 

 

しかも帰りの乗り換えのときに羽田空港が雷雨で全便欠航。

娘は翌日の一番遅い便で新千歳空港に飛び、そこから高速バスで深夜にかえってくるという悲惨なことに。

そんなたいへんな状況に置かれても、娘はへろへろながらもがんばっていました。

そして迎えたきのうは釧路市民文化会館での北陽定期演奏会

憧れ続けたステージに、ついに娘が立ったのです。

 

 

娘はそういった感情ではなく、とにかくがむしゃらに突き進むだけだったでしょうが、親としては感無量。

 

先月亡くなった義父も、きっと初孫のトランペットを聴いていてくれたでしょう。

 

きょうから3日間はひさしぶりのまとまった休みだそうで、しっかり休んでもらいたいです。宿題は一つも手がついてないらしいですけど。

義父、逝く

2023年7月3日。

妻の父が天へと旅立ちました。満71歳、行年でいうと73歳。

初孫が生まれるちょっと前の2007年から癌と闘い、16年間。大健闘です。

 

最後の1か月は、自宅に戻っての緩和ケアで過ごしました。

義実家は近所なので、先週末は義父に寄り添い、亡くなる前日は21時ころに家に帰りました。

その後まもなくして連絡があり、急遽実家に舞い戻ります。

 

みんなで手を握ったり、「じいちゃんありがとう!」と声をかけたりして号泣。
まさに涙々のお別れを迎えようとしていました。

しかし、なんだか少しずつ元気になってきて、「おしっこしたい」とか言い出します。
その後は昼間と変わらない様子に。しばらくしてから再び家に帰りました。

 

亡くなったのは翌日16時ちょっと前。

お義母さんが横でうたたねをし、孫たちが遊ぶ声を聞きながら、誰にも気づかれずに逝ってしまいました。

前夜に開催された涙々のセレモニーで満足したのかもしれません。

眠るように、穏やかな表情でした。


ちなみにそのころ私は職場におり、義妹から職場へ来た電話で「帰ってきたほうがいいと思う」旨の連絡を受け、娘を高校に迎えに行こうとしました。

その道中、通勤用の愛車・ラピュタ君のエンジンもおかしくなり、ぜんぜん吹けない状況になってしまいました。たぶん点火系のトラブル。なんちゅうタイミングか!

這う這うの体でなんとか実家に辿り着き、義父の死を知りました。

 

それからは怒涛の日々。人が死ぬって、やっぱりたいへんなイベントだなって心から思いました。

これからはひとりになってしまったお義母さんをサポート。

寂しさを紛らせるよう、楽しく、元気に過ごしてもらいたいと思います。

 

そしてお義父さん。

お義父さんが居なかったら、かわいい子どもたちも産まれませんでした。

そしていつ動けなくなるかわからないからと、いっしょにたくさん色んな場所に旅行に行きました。

そうじゃなかったら、こんなにいろんな景色を見られなかったと思います。

いろいろありがとう。

これからは、空から家族を見守る役目をよろしくおねがいしますね。

 

デジミさんありがとうございます!!!

ことし、管理職に上がってしまったんですよ。

 

そしたら、今までの仕事+管理職の仕事ということになってもうたいへん(-_-;)

 

しかも、事務処理ミスや議会も重なってしまい、血反吐を吐く毎日でございます。

 

そんな中、うれしいことが!

 

books.rakuten.co.jp

 

お世話になっているデジミさんの本に、ウチの父ちゃんとばあちゃんの写真をカラー化したうえで載せていただいたのです!

 

ウチのじいちゃんは弟子屈町で写真館を経営しておりましたので、おそらくそこでじいちゃんが撮影したものだと思います。もちろん元はモノクローム

7人きょうだいの末っ子のとうちゃん。昭和26(1951)年生まれですので、おそらく昭和29~30年頃かな?

ばあちゃんはめっちゃいい顔してるし、とうちゃんはやんちゃに忍者ごっこしてるし、きっとじいちゃんもこの後ろにニコニコしながらいるんだなって思うと、うれしくなってきます。

 

よい記念になりました(#^.^#)