2008-05-01から1ヶ月間の記事一覧
今回は母方の高祖母の母の実家、下田家です。 高祖母の母・平野たつ(1819~1910)は、江戸時代より青梅街道の宿場町として栄えた幕府領田無村(現:東京都西東京市田無)の下田忠蔵の長女として文政2年に生まれました。 年代不明ですが、小榑村(現:東京都…
今回は妻の祖母方の高祖母の父の実家、佐野家です。 高祖母の父・大久保末五郎(1830~1907)は、天保元年に陸前国名取郡志賀村(現:宮城県岩沼市志賀)の佐野直吉の五男として生まれ、同じ志賀村の大久保留治の娘・サノの婿養子として迎えられます。 その…
今回は祖母方の高祖父の父の実家、砂山家です。 高祖父の父・太田勇一郎(1825~1903)は、文政5年に常陸国筑波郡牛縊村(現:茨城県つくば市上里)の砂山軍造の二男として生まれました。嘉永2(1849)年、23歳のときに同じ牛縊の太田勇右エ門の14歳の長女・き…
今回は嫁の高祖父の父の実家、畑中家です。 この畑中家についてはほとんど何もわかっていないのですが、高祖父の父・山田由蔵(?~?)の実家です。由蔵は山田家の最古の戸籍、陸奥国北郡関根村(現:青森県むつ市関根)の養兄・山田留蔵(1868~1930)が戸…
私の姓は菊地といいますが、元はといえば私からさかのぼること7代前の菊地家のご先祖さま・菊地儀右衛門(1810~1890)が菊地家の養子に入ったことによります。 養子に入る前の儀右衛門の姓は菊池といいます。文化7年に磐城国白川郡関岡村(現:福島県東白川…
今回は妻から見ると母→母→母(曾祖母)の実家、髙山家と、そのさらに母の実家、國分家です。 つい最近までご健在であった曾祖母・柿﨑サクヱ(1902~1997)は、明治35年に山形県最上郡大蔵村大字南山字平林の髙山市助(1862~1928)、フシノ(1864~1930)の…
今回は嫁の曾祖母の祖母の実家、小野寺家です。 曾祖母の祖母・千葉ソヨ(1871~1949)は、明治4年に陸中国北九戸郡長興寺村の小野寺亀吉(1845~1920)とハナ(1848~1920)の間に長女として生まれました。 明治20(1887)年に16歳で同郷の千葉岩太郎に嫁ぎ、…
私は昨年夏より今年にかけて直系血族の戸籍・除籍謄本110通の請求を、29の市区町村に行い、そのうち98通を発行していただきました。 やはり、ある程度の都市は除籍謄本の保存年限80年を経過した時点で発行をしてくれなくなる場合が多いようです。 比較的小さ…
今回は母方の祖母の曾祖母の実家、如澤家です。 あまりにも遠い祖先なのですが、祖母の曾祖母・鹿嶋モト(1843~1917)は、越後国蒲原郡河間村(現:新潟県新潟市西蒲区河間)の如澤兵右エ門・ヨイ夫妻の長女として生まれ、安政4(1857)年に14歳で同郡吉江村…
今回は嫁の母方祖母の祖母(高祖母)の実家、森家です。 高祖母・柿﨑タケノ(1883~1941)は、明治16年に森栄助(1853~1928)・マツ(1854~1925)夫妻の三女(第4子)として山形県最上郡大蔵村大字南山字木遠田に生まれました。 その後、明治35(1902)年に…
今回はまったく手がかりがつかめなかった妻の祖母の母の母(高祖母)の実家、竹内家です。 竹内家に関しては、高祖父・湯谷金蔵の戸籍の高祖母・まち(1879~1959)の欄に「釧路郡鳥取村 竹内惣次郎長女」と記載されているだけで、それ以前のものは申請の1年…
今回は嫁の祖母方の高祖母の実家、大久保家です。 高祖母・佐藤よの(1869~1937)は、明治2(1869)年に大久保末五郎(1830~1907)、サノ(?~?)の間に五女として生まれました。明治18(1885)年、よのが15歳で宮城県刈田郡円田村小村崎(現:蔵王町小村崎…
今回は妻の曾祖母の母の実家、岩渕家です。 高祖母・千葉サワ(1891~1973)は妻が生まれる5年前までは九戸でご健在だったようで、とても近い存在かと思いましたが、嫁の父も会ったことはなかったようです。 その高祖母の実家は陸中国北九戸郡戸田村(現:九…
今回は妻の高祖母の実家、杉山家です。 高祖母・山田をれ(1876~1938)は明治9年、青森県下北郡田名部村金谷(現:むつ市金谷)の杉山治郎左衛門(1843~1911)、すゑ(1850~1931)の間に二女(第4子)として出生しました。 明治29(1896)年、19歳のときに…
今回は母方の曾祖母の母の実家、奥田家です。この奥田家については戸籍から読み取れることが少ない家系です。 高祖母・及川ちよみ(1871~1928)は、明治4年に奥田亀吉(1844~1921)の長女として出生。 ただ、高祖母の父である亀吉は、当時の戸主・奥田鉄治…
今回は母方の高祖父の実家、新倉家です。 高祖父・平野儀三郎(1866~1939)は、慶応2年に新倉治兵衛・フジの二男として誕生しました。出生地は不詳ですが、婚姻時の父・治兵衛の戸籍住所は神奈川県北多摩郡田無町(現:東京都西東京市田無)ですので、変わ…
今回は、曾祖母の母の実家の方の藤田家です。 高祖母・藤田カメ(1872~?)は、明治5(1872)年に藤田定蔵(1840~1903)・タツ(1846~1917)夫妻の二女として生まれました。 出生地は不詳ですが、確認できる最古の住所が福島県西白河郡五箇村蕪内字新屋敷(…
今回は高祖母の実家・石井家です。 高祖母・菊地すゐ(1874~1931)は、明治7年に石井庄衛門(1837~1902)、ふゆ(1839~1909)夫妻の二女として茨城県久慈郡生瀬村大字小生瀬(現:大子町小生瀬)で生まれました。 明治26(1893)年に19歳で福島県東白川郡豊…
今回は、母方の祖母の母の実家、小出家です。 曾祖母・小出カツ(1904~1989)は、小出福松(1871~1937)とノセ(1875~1964)夫妻の4人目の子供(長女)として新潟県西蒲原郡味方村大字吉江で生まれました。 19歳のときに同郷の皆川征露久と結婚し、祖母を…
ここからご紹介する家系は、私の知る限りでは北海道に来ておりません。今回は祖母の母の実家、飯島家です。 当時の茨城県筑波郡牛縊村(現:つくば市上里)に生を受けた曾祖母・飯島ふて(1881~1940)は、明治33(1900)年に同郷の曾祖父・太田代次郎と結婚し…
今回で北海道にやってきた家系の紹介が最後となりますが、嫁の母方の曾祖母の父および、嫁の母方の高祖母の実家・髙谷家です。 髙谷家についてはどこからやってきたのかはまったく不明ですが、相木家の際にも引用させていただいた北方資料データベースの落部…
ずいぶんと家系をさかのぼってきまして、今回は母方の祖母からみますと父方の祖母、および母方の祖父。もっとわかりやすく書くと祖母の両親がいとこ同士でありまして、その両方の実家が鹿嶋家(鹿島家)です。 確認できる最古の祖先が鹿嶋源之助といい、新潟県…
今回は、はっきりとした入植元がわかりませんでしたが、妻の母方の曾祖母の実家、相木家です。 取得できた最古の戸籍が、茅部郡落部村(現:二海郡八雲町落部)の高祖父・相木萬九郎(1848~1926)が戸主のものでした。高祖父・萬九郎は、慶応元(1865)年17歳…
現在、釧路市に残る鳥取大通や鳥取北などの地名は、明治17(1884)年頃に鳥取県の士族が移住する際に用意された根室国釧路郡鳥取村に由来します。その鳥取村に鳥取県法美郡上舟村大字荒舟村(現:鳥取市国府町荒舟?)より明治24年の届出で移住したのが、嫁の…
今回は、妻の曾祖母の実家、千葉家です。 妻の曾祖母・山田ハルノ(1910~1939)は、釧路郡鳥取村において曽祖父・綱吉と16歳のときに結婚し、5人の子宝に恵まれましたが、昭和14(1939)年に6人目が生まれた際に亡くなったそうです。28歳という若さでした。 …
今回は、母方の曾祖母の実家、及川家です。 曾祖母・平野とよみ(1893~1978)は私が生まれた年に亡くなったので会ったことは無いのですが、私の母は就職するまでずっと実家で同居しており、よく「とよみばあちゃん」の話を聞いたものです。厳しかったばあち…
今回は曾祖母の実家、藤田家ですが、私は曾祖母・カツ(1896~1996)の記憶はありません。小さいときに一度会っておこづかいをもらったことがあるそうなのですが・・・。 わたしが高校3年生だった平成8(1996)年に100歳で天寿を全うしたのですが、お葬式にで…
今まで祖父母、私からすると2代前までの家系探求経過をご報告させていただきましたが、やはり北海道に渡ってきている祖先の方々は本家を継いでいないことが多く、入植する前のことは戸籍で得られる以外の情報はほとんど得られませんでした。 ただ、ここまで…
今回は、嫁の母方の祖母の実家、柿﨑家です。私の娘からすると、母母母・・・とつながる女系の系譜となります。 柿﨑家は大正5~6(1916~17)年頃、嫁の曽祖父・柿﨑作次郎(1902~1966)一家が、山形県最上郡大蔵村大字南山より釧路市大字釧路村西幣舞(現:…
今回は、嫁の父方祖母の実家、佐藤家です。 嫁の祖母は昭和63(1988)年に若くして亡くなってしまったため、お会いできませんでした。でもその親戚の方々とはよく会います。とても温かい人ばかりで、さぞや祖母もこんな感じの人だったのかなぁ・・・と思うにつ…