真剣に家系探求

何かの縁で北海道に集まってきた祖先の歴史を少しづつ紐解いていきます。

祖父の軍歴

家系調査とは離れますが、私の祖父は二人とも兵隊でした。

 

陸軍に所属していた軍人は、兵籍簿というものが各都道府県の福祉課的な部署に保管されているらしく、申請すれば兵籍簿そのものではないものの、それをExcelで打ち直したものを送付していただけるようです。しかも申請書+対象者から請求者のつながりがわかる戸籍謄本のコピー+返信用切手80円だけで。

 

ということで、申請してみました。

 

まず、菊地の祖父は日中戦争も太平洋戦争にも従軍。

話によると、東京の写真学校に通っていたために写真班に所属し、かなりやばい写真(中国の人を〇〇してるところとか・・・。おそろしくて書けない)をいっぱい持ち帰ってきたそうです。

全部捨てられてしまったようですが・・・。

また、伯母曰く「太平洋戦争のときは、病気になってすぐ帰ってきた」とのことでした。

 

結果は・・・。

 

菊地 幸松
大正5(1916)年4月21日生 本籍:北海道川上郡弟子屈町御料地29番通西第105号地
年月日 任官・進級・昇級 記事
昭和13(1938) 9 14 歩兵二等兵 臨時招集のため歩兵第27連隊留守隊に応召
        留守第3中隊に編入
  12 24   召集解除
昭和15(1940) 9 15 二等兵 勅令第581号により
昭和16(1941) 7 19   充員召集のため歩兵第26連隊に応召
        第1中隊に編入
  7 24   第24歩兵団司令部整備要員として第7歩兵団司令部に充当
  7 26   旭川出発
  8 1   神戸港出帆
  8 3   釜山港上陸
  8 6   鮮満国境(図們)通過
  8 8   東安省密山県西東安着
        第24歩兵団司令部に編入
  11 1 一等兵  
  12 2   脚気のため東安陸軍病院西東安分院に入院
昭和17(1942) 2 12   治癒退院
  5 7   脚気のため東安陸軍病院西東安分院に入院
  7 16   治癒退院
昭和18(1943) 1 1   内地帰還のため西東安出発
  1 2   鮮満国境(図們)通過
  1 7   釜山港出帆
        下関港上陸
  1 12   旭川
        第7歩兵団司令部に転属
  1 17   召集解除
昭和20(1945) 3 25   臨時招集のため第7師団司令部に応召
        独立歩兵第460大隊第1中隊に編入
  5 22   移駐のため帯広出発
        根室着 以後同地の警備
  8 18   召集解除

 

確かに2回も脚気になっています。戦中の栄養不足の最中、さぞかし恐ろしい病気だったのでしょう。

最終的には北海道の警備だったのはラッキーだったんだと思います。

 

母方平野の祖父は、太平洋戦争のみ従軍。

 

こちらは、不本意な結果でした。

 

平野 政次
大正11(1922)年3月6日生 本籍:樺太恵須取郡恵須取町大字上恵須取字布禮二線69番地
年月日 任官・進級・昇級 記事
昭和18(1943) 4 1 二等兵 現役兵として歩兵第25連隊歩兵砲中隊に入営
        同日より国境警備勤務に服す
  4 17   脚気のため上敷香陸軍病院に入院
  4 27   兵役法第21条により現役免除
        同日国境警備勤務を離れる
以降、兵籍簿滅失により不明

 

わずか27日分しかない(+_+)

そしてやはり脚気の魔の手が・・・。

 

現在も元気な祖父・平野政次ですが、終戦時は樺太に兵籍をおいていたために、戦後の樺太ロシア占領の際、昭和19年以降の兵籍簿が樺太に置き去りになってしまったと思われます。

終戦を陸軍一等兵で迎え、シベリア抑留も4年間経験して命からがら帰国した祖父。

その証が残っていないのは、非常に無念です。

 

それにしても、二人とも無事に帰ってきてくれたために私が今存在しているわけです。

 

軍事や戦争には疎いので、「おぉ!第〇連隊はこんな功績が・・・」とか「あんな作戦に参加してた部隊だ!」とかは全くわかりませんけど、この行間で、数々のドラマがあったのでしょうね。

しかも現代では考えられない、人の生死を左右する出来事が毎日のようにそこかしこで起こっていたのでしょうし・・・。

 

北海道の職員の方がExcelで打った無機質な表でしたが、二人の祖父が命をかけてかいくぐってきた歴史です。感慨深く見入ってしまいました。