真剣に家系探求

何かの縁で北海道に集まってきた祖先の歴史を少しづつ紐解いていきます。

戸籍謄本を眺めながら

戸籍謄本を眺めながら家系をさかのぼっていくと、いろいろな名前がでてきます。

大正くらいまでさかのぼると、ほとんどが会ったことの無い人の名前。

大半は文字のみの情報となり、これだけで人となりを想像していくしかありません。

 

そんな中、かつて気になる人が居りました。

 

その人は、私の高祖父・幸吉の兄である菊地初太郎の孫にあたる人で、私の祖父から見ると「はとこ」にあたります。

 

その人は鈴木初夫という人で、1917(大正6)年に屈斜路の菊地家の近く(戸籍の住所だと地番が1番違い)で生まれ、2歳のときに父親・鈴木清次郎が亡くなり、鈴木家の家督を相続。

その後、18歳となった1935(昭和10)年に、美幌峠を越えて美幌村に移り、また時期不明ながら静岡県に移り、1942(昭和17)年に25歳で結婚して、翌年に長女が誕生。戦火の激しい中、幸せを感じていたときだったでしょう。

 

しかし・・・

 

「昭和20年3月17日時刻不詳 硫黄島ニ於テ戦死 横須賀地方復員局人事部長報告 昭和21年11月22日受付」

 

可愛い盛りの幼子を遺し、余りにも無念の戦死であったのでしょう・・・。

報告も戦後になってから行われたのでしょうか?昭和21年11月となっています。

 

鈴木家は長女が家督相続することとなりましたが、奇しくも戦死した父が相続した年齢と同じ2歳という幼さでありました。

 

ちなみにウチの愛娘も現在2歳5ヶ月。このような思いはしたくないし、させたくないものです・・・。