つくば市上里 鹿島神社
もうずいぶん前になりますが、平成20年の暮れに曽祖母(祖母の母)の実家である茨城県つくば市の飯島家にお手紙をしました。
手がかりを求めて電話帳を確認したところ、戸籍謄本中で確認できる本家であろう方のお名前が載っていたのです。
しかし、そのご当主の方は亡くなっておりまして、長男である現在のご当主の方より連絡をいただきました。
そのお手紙には神社や大きな木の写真が同封されておりましたが、説明がどこにも書いてません。
これは何の写真だろう?
思い切って電話をかけてみました。
すると、その長男の方に出ていただけまして、説明を伺うことができたのです。
これは、かつては筑波郡吉沼村牛縊と呼ばれていた地、つくば市上里にある鹿島神社の写真でした。
曽祖父・太田代次郎(1878~1962)と、その妻である飯島家出身のふて(1881~1940)が筑波から北海道女満別に入植する際に記念に植えられた木なんだそうです。
入植したのが大正後期なので、樹齢90年くらいでしょうか。
きっと、この木を植えるときにはいろいろ複雑な思いがあったんだろうと思います。
長男なのに、代々の土地を離れるということ。
かけがえのない家族とも会えなくなるということ。
この木にはそういった切ない思いと、まだ見ぬ地への希望とがこめられていたのではないでしょうか。
ちなみに入植先の女満別町史に曽祖父・代次郎に関しての記述があり、
ひとつは昭和初期に道庁の指導者の下、「女満別で初めて暗渠工事を行った。」という記述。
もうひとつは昭和14(1939)年、女満別村議会選挙に立候補。定数18のところ候補者は21名。
そのうち19位となり落選。
しかも、この次もう一回落選していました。
内容はなかなか微妙ですが、こうして地誌に名前を見つけることができたことが嬉しくてたまりませんでした。
町史などで祖先の名前を見たのはこれが初めてで、いまのところこれっきりの経験です。
話は戻りまして、飯島家の家紋は「丸に隅立て四つ目結」。
さらに曽祖父の弟が継いだ太田の本家の住所も教えていただけたので、太田家にもお手紙させていただきました。
今のところ反応は無いのですが・・・。
入植時のエピソードが残っているなんて思ってもみませんでした。
現在もその地に残されている証。
いつか実際に訪れて、この目で見たいと願っています。