真剣に家系探求

何かの縁で北海道に集まってきた祖先の歴史を少しづつ紐解いていきます。

久しぶりの除籍謄本請求、玉砕の巻

こないだ訪れた鳥取県八頭町徳丸。
 
その地に、釧路に渡った妻の高祖母の父・竹内惣次郎(1849~1912)の実家である中嶋家(現在は中島:なかしま)があります。
菩提寺さまに情報をいただき、過去帳によると惣次郎の父・中島藤八は明治19年1月21日に72歳で没、母・おくは明治28年5月17日に73歳で没ということが判明。ともに喪主は惣次郎の兄です。
先日、この夫妻についての除籍謄本を請求したところでした。
 
しかしながら、本日「直系の人物が記載されている除籍はありませんでした・・・」と連絡を受けたところですorz。
藤八のほうは明治19年式戸籍が編成された明治19年1月没なので存在しないだろう。でも明治28年没の妻・おくについては、次代(惣次郎の兄)の除籍に母として記載があるだろうという確信がありました。
ところが、検索システムのあるコンピューター上でも見てもらったんですが、惣次郎の兄の除籍にも記載が見つからなかったそうです。
 
明治19年戸籍の編製がそんなに遅かったところってあるのでしょうかね?
それともなにかの確認もれ?・・・(*´Д`)
またはほかの兄弟(存在するか未確認)の除籍に記載されているとか??
 
またいつの日か直接役場に出向いて再チャレンジしないとならないかしら!?

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ハードスケジュールな関西旅行②

いろいろな障害を乗り越え、なんとかかんとか関西旅行へ旅立てることとなった菊地家。

10月18日、クルマで釧路市新千歳空港へ向かい、最終便で関西国際空港へ。

私は2004年に和歌山県有田市に住むイトコの結婚式で訪れて以来、13年ぶりの関西。
妻は高校2年生の修学旅行以来なので、実に22年ぶりとなります。
もちろん子どもたちは初めての関西。今までで一番西に行ったのが静岡県裾野市だったので、大幅更新です。

20時半過ぎ、空港到着。
そのまま南海電車で宿泊地である堺へ向かいます。

堺駅からホテルへの道すがら、地元スーパーで晩ごはん用に関西の肉じゃがや玉子焼きを調達。

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さらにはたこ焼き屋を発見し、到着早々大阪の味を堪能することができました。

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翌朝、子どもたちに「山に登るぞ~!」と宣言し、ホテル近くの日本一低い山(なんか注釈つきですが)である蘇鉄山を制覇!
子どもたちにとってはまごうことなき人生初登山でございました(^_^;)

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そしてトヨタレンタカーへ。
鳥取まで行くので、今回はレンタカー移動です。

車は旧型シエンタ
2008年の福島旅行、2015年の関東旅行に続いて、これで三度目のシエンタ
今回は大阪ナンバーでした。

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そして関ジャニ∞村上ファンの妻の希望を叶えるべく、村上くんの出身地・高槻市へ。
高槻西武にあるタワーレコードが村上ファンの聖地だそうで、ついに連れてきてあげることが出来ました(^^)v

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昼食は同じく西武に入っているお好み焼き屋さんで、本場のお好み焼きを堪能。店員さんがマヨネーズをシュパパパとかけるのがカッコよかった!

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そして京都へ。
伏見稲荷下鴨神社、八坂神社と、できるだけ神様にごあいさつをしてきました。

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2泊目は伏見区にて過ごします。

 


3日目。早起きして子どもたちが行きたがっていた本能寺へ。
エクスプロージョンというお笑いコンビのネタ「本能寺の変」が大好きなので、どうしても行きたかったそうです。

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でも思ってたのとは違ったようで・・・。いったいどんな想像してたんだ?

その後金閣寺に行くも、修学旅行生や外国人で大混雑。入場料払う入口まで行ったものの、そこで引き返しました(>_<)

そして、またもや関ジャニ∞絡みで右京区の「美と屋」という駄菓子屋へ。
ここは丸山隆平くんが小っちゃい時から通っていたお店。
丸ちゃんファンの聖地であります。

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店内はファンが持ち寄った、丸ちゃん愛が炸裂するものばかり。
しかし、お店の店主であったおじさんが最近亡くなったばかりで、おばちゃんも元気がない様子。
元気出して!と励まして店を後にしました。ちゃっかり息子の手には大量の駄菓子が握られています。

京都市の最後は車折神社、そして同じ場所にある芸能神社
娘の吹奏楽についてのお願いをして、京都市を後にしました。

いよいよ兵庫県新温泉町へ!

と、その途中の宮津市にある天橋立の絶景も、ビューランドというところから無事にみられましたよ(^^)v

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そして新温泉町浜坂駅で娘の親友一家と待ち合わせ。
無事に1年ぶりの再会を果たせました(=^・^=)
すんごい遠かった~

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娘の親友を借りて、その日は湯村温泉で一泊。

いよいよ翌日は親友一家と遊んだり、鳥取で家系探求したりの日です。


10月21日土曜日。

兵庫県新温泉町湯村温泉にて目覚めた菊地家+娘の親友。

雨の予報ながらも、なんとか午前中は持ちそうな雰囲気。

まずは鳥取砂丘のこどもの国へ向かいます。
そこで親友一家と合流の予定ながらも、ちょっと遅れるとのこと。

家族を置いて、私は単身国府町荒舟へとシエンタを走らせます。

約30分後、荒舟集落に到着。なかなか森に囲まれた自然豊かな集落です。

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そこで最初に出会ったおばあさんに、集落の墓地はどこにあるかをたずねましたら、
「ここをまっすぐ行って、竹藪の奥にあるけんど、決して山には入りなさんな。ぜってえだぞ」
と、ミステリアスなアドバイスを受けました。なんだか怖いです(;´Д`)

そして、かつてお手紙作戦の際にご返事をいただいた親戚ではない湯谷さんのお宅にお邪魔。
その方の息子さんがいらっしゃったので、お土産を置いてごあいさつ。
改めて墓地の場所を聞くも、荒舟集落は各家に墓地があるということ。
でも若干ではあるが、竹藪の中にお墓が固まっているということ。

せめて、その固まっているところを探索してみますが、苔むしていてさっぱり読めません。

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お墓はあきらめ、菩提寺に行ってみます。
きっと、ある程度お墓があるに違いありません。

しかし、予想は大はずれ。
お寺にあったお墓は、ご住職の一族のものと思われるもののみ。

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お宅にもどなたもいらっしゃらず、荒舟はこれで詰みました(+o+)

時間も限られているので、次は八頭町徳丸へ向かいます。

ちょうど到着のころに正午を回ってしまったので、トイレがてら道の駅へ立ち寄り、それからお手紙をいただいた菩提寺で墓石調査。

しっかり中島家の墓石を発見!

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直系祖先である中嶋藤八夫妻の墓石&戒名も見つけることが出来ました。

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家紋は「丸に三ツ星」。

遠く北海道の釧路にも子孫が居ますよ~と心の中でアピールし、子孫の見守りをお願いいたしました。

しかしながら、帰ってからネットで検索ところ、因幡地方および中嶋家のこの紋については何も情報なし~。

竹内家については、墓石が多すぎて解らず(>_<)

家紋も釧路の竹内家では「たしか桐だったかな?」と言われていたところでしたが、「丸に蔦」や「丸に梅の花」が多くを占めており、桐紋は一つも見つけられませんでした。

最後にお寺へごあいさつに行くも、不在・・・。

せめて中島家の子孫のお宅に行くも、やはり不在・・・。

共に北海道のお菓子と名刺を置いて、徳丸を後にしました。


砂丘に戻るころには大雨に。

親友一家と昼食をいただき、砂丘を眺めてからもう一晩だけ娘の親友を預かってひとまずお別れ。

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釧路人にとって重要な地、賀露に向かいます。

現在は釧路市の一部となっている私の住む旧・釧路郡鳥取町地域は、賀露港から出航した鳥取県人によって開拓された地。

雨だったので、港には行かずに神社でお参りしてきました。

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そして最後に私たち一家にとって、一番西の到達点である白兎へ。

息子と、私と妻の父が兎年のため、この地にある白兎神社でお守りを授けていただきたかったのです!

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この日は鳥取県で一番東に位置する岩美町の民宿で一泊。

翌日曜日は台風直撃DAY。

岩美町から新温泉町に向かい、親友とお別れ。
そのまま奈良へ向かいます。

距離は約250km。時間にすると5時間弱をノンストップで豪雨の中を駆け抜けました。
神戸や阪神高速で渋滞に巻き込まれたりしながらだったので、北海道と勝手が違ったっす。

大雨の中、東大寺で大仏さまの優しいご尊顔を拝み、奈良公園でびしょ濡れになりながら鹿と戯れます。

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そして大阪。

最初の目的地の大阪城天守閣が台風のため閉鎖。

仕方なく、難波のホテルに荷物を置き、シエンタとお別れ。
通天閣近くの串カツ屋でコテコテの関西人に素人いじりをされたり、
通天閣のその日最後の客となり、ビリケンさんを家族で触りまくってきました。

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翌日は台風一過でスタッフさんによると空いているUSJを堪能(私的には混んでますが)。

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最終日は真田幸村の没地である天王寺区の安井神社を参拝。

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最後の最後に天王寺動物園

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小学校や幼稚園の遠足でごった返す中、コアラやキーウィの後ろ姿を拝んで釧路に帰ってきました。

家系探求的にはあまり成果はありませんでしたが、密度の濃い旅行でございましたとさ。

長文にお付き合いいただいてありがとうございました<(_ _)>

ハードスケジュールな関西旅行①

先々週10月18日、2010年から画策していた関西旅行がついに実現!

2010年ならば、当時3歳の娘と家族3人旅行のはずだったのですが、仕事上の問題で計画が頓挫。

続いて、息子が(まだ飛行機の席が必要ない)2歳だった2013年にも計画を立てたものの、金銭的な面でまたもや頓挫。

そして、いよいよ7年越しの思いが叶う時が来たのです。

 

今回のメインは以前の計画から大幅に方向転換して、昨年釧路市から兵庫県新温泉町へ引っ越した娘の親友に会うこと。

 

そこにたどり着くまでには、釧路市から新千歳空港まで車で270km走り、そこから関西国際空港へフライト。

そしてそこから250km(ほとんど一般道)走らなくてはなりません。

 

本州の道を走りなれない私には、なかなかの難度です。

もちろん、せっかく高い旅行費や休暇を取って関西へ行くからには、コテコテの大阪、文化的な京都や奈良も押さえておきたいところ。

そうして6泊7日のハードスケジュールを立てました。

 

そしてもう一つ。

以前の計画にはなかったことですが、たまたま目的地である新温泉町は、妻の曾祖母系統が住んでいた鳥取県のすぐそば!

妻の曾祖母の実家である鳥取市国府町荒舟の湯谷家

さらにその南にある妻の曾祖母の父の実家である八頭町徳丸の中島・竹内家

その3家の調査もすることに(*'▽')

しかしスケジュール上、他の家族は「鳥取砂丘こどもの国」で娘の親友一家と遊んでてもらうということで、一人での行動は移動時間も併せて3時間ほどしか時間がとれません。

効率的に回るためには、いろいろ情報を仕入れとかなくては!

 

 そこで、旅行のわずか1か月前に、菩提寺と思われる各町二つのお寺にお手紙をさせていただきました。

 

すると、程なくして八頭町のお寺からお返事が!

 

丁寧なお手紙とともに、妻の高祖母の父・竹内儀三郎の没日(明治19年2月11日)および子孫が北海道に渡ってしまったため、その子孫は鳥取に居ないこと。

過去帳からは竹内儀三郎の本家がわからなかったこと。

そして妻の高祖父の父・竹内惣次郎(1849~1912)の実家である中嶋家の子孫について記されておりました。

惣次郎の父・中嶋(なかしま)藤八の没日は明治19年1月21日。母・おくの没日は明治28年5月17日。

中嶋家は、いつのころか「中島」と字が変わり、現在も八頭町徳丸にお住まいとのこと!

 

荒舟の湯谷家については、ご連絡をいただくのが間に合いませんでした(;´Д`)

 

時間が限られているので、荒舟・徳丸ともお墓にについて重点的に調べる方針とし、できればお寺とお宅にご挨拶することとしました。

 

そしていろいろ行く場所の取捨選択や計画を練り直したりしていよいよ旅行直前。

しかし、順調にはいきません。

 

出発の3日前、息子が発熱。

病院に行ったところ、ただの風邪。なんとか出発前日の朝に回復して元気に幼稚園へ行ってくれました(#^^#)

安堵したのもつかの間。その夕方の部活中(出発前日)から娘が発熱(;´Д`)

これはいよいよダメか~と半分あきらめてしまいました。

 

しかし娘の親友に会いたい一心!?で出発日の朝には治癒!

 

無事に旅立ちを迎えられることとなりました!

 

次回に続く・・・

風は鳥取へ

来週、家族そろって関西へ旅行にいきます!

ホントは2010年に行くつもりだったんですが、いろいろあって7年経ってしまいました。

 

一番大きな目的は、昨年引っ越してしまった娘の親友に会うこと。

 

今までは転勤族だったお父さんに子ども4人とともについていっていた家族も、お父さんの渋谷区への転勤をきっかけとして、一番上のお姉ちゃんが中学に上がるのを機に田舎の兵庫県・旧浜坂町に戻ることになったのです。

 

その家の2番目の娘さんが、ウチの娘と大親友。

 

引っ越してしまったときはガラスのハートの娘ですから、メンタルな部分で心配でした。

しかし、ほどなく金管部に入部。

新しい先輩や友達も増え、9月の吹奏楽コンクールでは北海道3位の評価を受けました。

惜しくも東日本大会には届きませんでしたが(*´Д`)

 

親が心配するほど、子どもは弱くないんだなぁと思った次第です。

 

その旧浜坂町、今は温泉町と合併して新温泉町という名になっておりますが、そこの近く、鳥取市国府町荒舟という地が妻の曾祖母の実家・湯谷家のルーツなのです。

さらに、釧路に渡ってきた妻の高祖父・湯谷金蔵(1867~1935)の妻・まち(1879~1959)の実家である竹内家は、荒舟から少し南に行った、八頭町徳丸がルーツとなっています。

 

ともに湯谷姓、竹内姓の方や、菩提寺とおもわれるお寺にお手紙をしていたりしますが、今のところなしのつぶて。

現地にコンタクトをとれる方はいらっしゃいませんが、あまり時間もありませんので、土地の雰囲気や、神社・墓石の調査だけでもしてこようと思います。

 

ついでに京都・大阪も満喫してきます(#^^#)

じいちゃん47回目の命日

なかなか台風なんぞ来ない釧路でしたが、きのうは久しぶりに台風が直撃してしまいました。怖かった(*´Д`)

 

そのおかげで、予定していた小清水平野家のイトコの出産祝いにも、じいちゃんに会いに行ったりも、弟子屈にある菊地のじいちゃんの墓参りにも行けずじまい。

 

そんなきのうは、祖父・菊地幸松(1916~70)が世を去ってから丸47年の日でした。

 

じいちゃんについては、実はあまり知らないのです。

なにせ、生まれた時にはもう居ませんでしたから・・・。

 

聞いた話では、

・幼いころに屈斜路エントコマップにあった菊地家を弟(今も健在の大叔父)とともに火遊びで全焼させてしまった。

・家を継ぐのが嫌で、小学校を出てから東京に行ってしまった。

・どういうわけか、写真学校に通っていた(場所は小石川だったという大叔父の話だが、該当するところがない・・・)。

日中戦争、太平洋戦争ともに出兵。太平洋戦争時は写真班で中国に渡り、ヤバい写真を大量に撮影してきたらしい(が、すでに処分されていて見たことはない)。

終戦時は根室防衛戦線(独立歩兵第460大隊第1中隊)に居た。

・その後は弟子屈の町で「光写真館」を経営も、知り合いの保証人になったのが仇となり、借金をこさえて清里町に逃げる。

・再び弟子屈の町に戻り、「菊地写真館」を現在のドコモショップ弟子屈店のあたりで開業。

・愛用のカメラはコニカⅢa(なぜか父ちゃんが保有)。

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・酒はめっぽう弱いのに大好き(そのせいで早世)。

・・・と、こんな感じのじいちゃんのようです。

 

そんな中で、じいちゃんが通っていたという写真学校がどこかが気になっています。

昭和一桁のころ、東京にあったという写真学校は、

 〇渋谷区・東京写真専門学校(現:東京工芸大。大正12年、じいちゃん7歳の時創立)

 〇中野区・オリエンタル写真学校(昭和4年、じいちゃん13歳のとき創立)

・・・むむ、どちらも小石川からはわりかし遠いし、距離的にはどちらもそんなに変わらない感じ?土地勘がないのでわからないですが。。。

 

いったいどこが学び舎だったのか、いずれ歴史を漁ってみたいっす!

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▲どれがじいちゃんかわからない(*_*;

 

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▲左から2番目がじいちゃん。戦時中の写真。

 

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▲組合に入ると、お金がかかるのですね。

またもや平野儀三郎

ず~~~~~~っと追いかけている高祖父の平野儀三郎(1866~1939)

昨年の出来事なのですが、この名をweb検索していると、明治~昭和期に活動した真宗大谷派僧侶 宗教家「近角常観」氏(1870~1941)が所蔵している資料の中に、平野儀三郎名の名刺があるということを発見しました。

近角氏は、真宗大谷派西源寺の住職。東京本郷の求道学舎と求道会館において学生知識人を感化する(wikipediaより)。という方だったようです。

そこで、現在資料を管理されている宗教学者大阪教育大学教授・岩田文昭氏に駄目元でメールさせていただいたところ、「東京に行く際、確認してみます」というありがたいメールが!

 

そして月日は流れ、忘れたころに岩田氏よりご連絡をいただきました!

写メールで、以下の写真がとどきました。

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う~む、肩書が何もナッシング(*_*;

住所しかない・・・。時期も不明です。

当時(明治~大正期)の人にとって、名刺とはどのようなものだったのでしょうね?

一般の人でも作ることがあったのかしら?

 

謎のままに終わってはしまいましたが、まったく岩田氏にとってはお門違いのおねがいだったにも関わらず、多忙の中たいへんありがたいご対応をいただきまして、感謝感謝でございます!

元・新潟県中之口村長、如澤氏からのプレゼント

あけましておめでとうございます。

もう松の内最後の日になってしまいましたね。

お正月気分ももう終わりです。

 

そんな中、きのう仕事から帰ってくると、ゆうメールが届いておりました。

差出人は如澤寛氏。

 

以下は、今までに如澤家について綴ったページです。

如澤家 【新潟県新潟市西蒲区】<丸に組み井桁>

2008/05/26 越後国蒲原郡河間村【如澤家】

2009/09/17 如澤家からの手紙

2009/09/19 越後国蒲原郡河間村【如澤家】②

 

平成17年に新潟市に合併するまでの中之口村長。

そして私から見ると、母→母→父→母→母である鹿島モトの実家・如澤家本家の方。

鹿島モト(1843~1947)の父である如澤兵右エ門(1821~56)の玄孫・兵一氏(1908~2004、寛氏と同じく中之口村長を務めておりました)のご長男であります。

こうやって改めて書いてみると、非常に遠い遠い御親戚となりますね。

その如澤さんは、村長時代に広報誌に毎月寄稿していたらしく、合併によって村長を退いた後も、毎月文章を書きためていたそうです。

その文章をまとめた本を、昨年に作製されたものを送ってくださいました。

 

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日常のことや、良寛会のこと、新潟市の今後について・・・いろいろと綴られております。

その中に、私についての記述が!

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如澤家は、本家のある新潟よりも北海道の方が多くなってしまっているようです(^_^;)

 

自費出版の本のようですが、私がこういった媒体で名前が記述するのは初めて。なにかとても嬉しいわけです。

 

如澤さんも昭和10年の生まれということですが、まだまだアクティブに過ごされております。

ぜひともお会いしたいですよ!