祖母の故郷、北村を訪れるも
先日、函館に帰省した帰りに、北海道グリーンランドで遊んできました。
ここは、4歳児でも乗車できるマイルドなジェットコースターが複数あり、ジェットコースターデビューに最適な遊園地でした\(^o^)/
グリーンランドは岩見沢市にあり、岩見沢といえば、母方祖母の皆川家が昭和10(1935)年ころに新潟県から入植した旧「空知郡北村」と合併した市です。
釧路からは結構遠いので今まで訪れたことが無かったのですが、今回初めてグリーンランドで遊んだ後に、北村の温泉ホテルに宿泊することになりました。
部屋が広い代わりにトイレや洗面所が部屋に無く、共同という、最近ではとても新鮮なホテルでした。
この場所で、滋賀県から来ていた子どもたちと仲良くなったりしました(*^_^*)
こちらのレストランで晩ごはんを頂いたのですが、メニューにかっぺ丼というのがあり、ご飯の種類やトッピングを複数種類から選んで600円という、かなり満足度が高いメニューでした。
それは妻が注文したんですが、そのかっぺ丼についていたのが、北村のご当地ラーメンのスープである牛乳味噌スープでした。
このスープ、かなり美味いです。今回は妻の丼で雑炊を少し食べたんですが、衝撃的な味でした。今度行った時は、このスープのラーメンを頼んでみようと思いました。
ちなみに温泉の効能はこんな感じ。
ちょっとしょっぱいお湯でした。
日帰り入浴が500円と安く、しかも朝5時から23時まで受け付けているという事で、ずっと地元のおじちゃんやおばちゃんがいました。憩いの場になっているようです。
朝の農作業の前にひとっ風呂なんて、羨ましいですね(^○^)
しかし、今回は情報収集のために地元の方とお話しする気力はありませんでした(*_*)無念・・・。
話は戻って、昨年亡くなった祖母の実家については、これまでコンタクトを取ったことが無く、今回の旅行の際も時間が無かったため、北村の墓地を調査することだけにしました。
釧路に帰る日、朝から墓地を訪れて皆川家のお墓を探してみましたが、残念ながら、皆川家のお墓はありませんでした(>_<)
スケジュール的には、これで限界でした。
今度行くことがあれば、事前に皆川家とコンタクトを取り、ある程度情報を手に入れてから行こうと思います。
それでも、今回はのどかな地元の空気を感じることが出来て、嬉しい旅でした。
ばあちゃんは生前ずっと、「北村に行きたいねぇ」と言っていました。
期せずして私が代わりに行ったような形になったような気がします。
お盆にお墓参りに行ったら、このことを報告しないと!
☆2015/8/15追記
祖父の話だと、どうやら皆川家のお墓は北村には無く、北村よりも北にある月形町という所にあるようです。こりゃまた予想外!
祝!九戸村出身のプロ野球選手誕生\(^o^)/
先日のプロ野球ドラフト。
ヤクルトスワローズの2位で、東京農大網走の風張 蓮(かざはり れん)投手が指名されました。
風張投手は、岩手県の九戸村長興寺出身。長興寺小→九戸中→伊保内高を経て、東農大網走に入学したそうです。
九戸村長興寺といえば、妻の曾祖母の実家・千葉家などがある地。
私は訪れたことはありませんが・・・。
妻の父がヤクルトファン。
風張投手の入団で、より応援に力が入りそうです。
ちなみに、東農大網走は私が高校時代を過ごした網走市に学校があり、ほど近い網走市の潮見という場所に多く学生が暮らすマンションがありました。
当時私は潮見のセブンイレブンでバイトをしていたため、農大生のお客さんが多く訪れていました。
バイト先でいっしょのシフトだったきれいなおねーさんも農大生でした(*^_^*)
そんなこともあり、農大OBともなれば私も応援に力が入りますね。私は横浜ファンですけど。
そして、風張という姓が珍しいので調べてみましたが、青森の八戸市(53件)に最も多く、ついで岩手の九戸村(7件)に多いようですね。
〇戸という地に多いことから、南部家に何か関係があるのかもしれませんね。
矢祭の菩提寺からのご返事
3年超の時を経て、ついにご返事をいただくことが出来ました(*^_^*)
結果としましては、
・当地に菊地家のご関係の方がおられず、また町外にお住まいの菊地家の方々も代替わりをいたしまして、昔のことはご存知ないようです。
・お寺の記録等もありません。以前ご訪問の折にご覧いただきました過去帳の記載しかございません。
・・・とのことで、お寺さんに大変なお手数をおかけしながらも、残念ながら手がかりを掴むことはできませんでした(+_+)
しかし、お寺でもわからないという事がわかりましたので、大きな進歩です(?)。
少なくとも、本家は矢祭町には無さそうです。
さぁ、ウチの本家の方は一体どこにいらっしゃるのでしょうか!?(@_@;)
母方曾祖母の実家・及川家の子孫との邂逅
先月、子どもの夏休み突入と同時に、実家の函館に帰省。
函館には、小清水町に住む母方祖父である平野政次の母・とよみの実家・及川家の子孫の方がいらっしゃることを以前から存じておりました。
曾祖母である平野とよみ(1893~1978)は、宮城県桃生郡鷹来村矢本(現:東松島市矢本)で及川清之進・ちよみ夫妻の12人兄弟の3人目として生まれ、一家で北海道の瀬棚に入植し、そこで曽祖父・平野留五郎(1884~1937)と結婚し、小清水に移住しました。
及川家は、とよみが家を離れたのちに函館市、今金町、札幌市へとそれぞれ分布することに。
今回、函館の本家とついにコンタクトがとることが出来、お会いできることになったのです(^O^)
涼しい釧路から7時間かけて函館に着くと、暑くてゲンナリでしたが(>_<)
7月30日、函館中央図書館で遂にご対面!
その方は曾祖母の兄・及川隆(1889~1947)の孫にあたり、母から見るとハトコになります。
北海道剣道界の重鎮なのですが、こんな私にもフランクに接してくださる方でした。
しかも、ほかにお二人の方、<曽祖母の弟・及川九郎のお孫さん>と、<曽祖母の末の妹・青山十二(とよみの11歳下。最近までご存命でした)の息子さん(祖父・平野政次から見ると、イトコにあたる)>まで同席していただきました。
平野家のイトコたちも剣道をやっており、血を感じさせますが、聞けば曾祖母・とよみの弟である及川弥治郎(1895~?)は札幌で数々の難事件に立ち向かった刑事だったそうで、さらに札幌の剣道史にも名前が出てくる程の人物らしいです。
みんな剣道やってるのは、弥治郎さんの影響なのでしょうか・・・?
集っていただいた中で、一番詳しいのは、祖父のイトコである青山さんでした。
私が事前に送らせていただいていた家系図を基に、いろいろ思い出してくださって、枝葉を広げたものをまとめてくださっていたのです。
そして、曾祖母の父である及川清之進(1871~1935)を看取ったのは、九郎さんのお宅だそうでした。
及川家紋はおそらく「三つ柏」だということです。が、現在はキリスト教だそうで、家紋とかはすっかり忘却の彼方へ・・・。
2時間ばかり絶え間なくお話をさせていただき、祖父がいうところの及川家の優秀な遺伝子をひしひしと感じることが出来ました。
一昔前の札幌市には、部長クラスが数名及川家から輩出されているとか、某大の教授だとか、今回集まっていただいた方も、現在も著名な事業家だったりするわけです。
゜(゜o)っていう気持ちでした。
残念ながら宮城時代など、家系を遡ってのお話はご存知無かったですが、遠縁であるお宅とご縁が出来ただけでも超ラッキーなことです。きっとご先祖さまのお導きでしょう!良い方ばかりでしたし\(^o^)/
一番お詳しい青山さんに、私が用意した除籍謄本や宮城の増子さんという方が調査した下さった墓石や旧村の資料などをお渡しし、これからいろいろ調査をしていくとおっしゃっていただきました。心強いことこのうえありません(*^_^*)
矢祭町出身の有名人?
私の祖先の地である福島県東白川郡矢祭町ですが、ちょっとした有名人の出身地であることを知りました!
その人は「あばれる君」。お笑い芸人です。
http://www.minpo.jp/news/detail/2014061416274
福島日報にしっかりと書いてありました(^O^)
この「あばれる君」ですが、本名は「古張」さんで、これは矢祭町長と同じ苗字で、矢祭には多い苗字です。
なんで有名人になったかというと、少なくとも私は日曜の朝に放送している「ポケモンゲットTV」という子供向け番組でしりました。
その番組の企画で、日本最北端の宗谷から、日本を旅しながらどんどん全国の子どもたちとポケモンを交換していくということをやっています。
まだまだマイナーな人かもしれませんが、矢祭出身では数少ない有名人。しかもこの番組が面白いので、応援します\(^o^)/
ぷららBroachから引っ越し完了
来月いっぱいで、ぷららのブログサービスが終了することになり、こちらに引っ越し。
4月から移行作業を行い、先ほど終了しました。足かけ2か月・・・。もうやりたくない!
ぷららで2008年5月から、約6年超。
ご指南を頂いたり、情報提供を頂いたりと、ずいぶんと助けられましたね。
せっかくいただいたコメントなんですが、移行したところ名前が無くなってしまい、どなたからなのかが判らなくなってしまいましたが・・・。
稀にしか更新しなくなってしまいましたが、まだ続けるつもりですので、よろしくお願いいたします。
2014/5/25 8:30時点のぷららBroachのカウンター
合計 : 163749 (2008.5.11~)
本日 : 19
昨日 : 122
はてなではカウンターが無いんですね・・・。