真剣に家系探求

何かの縁で北海道に集まってきた祖先の歴史を少しづつ紐解いていきます。

宮城県名取郡志賀村【大久保家】

今回は嫁の祖母方の高祖母の実家、大久保家です。

高祖母・佐藤よの(1869~1937)は、明治2(1869)年に大久保末五郎(1830~1907)、サノ(?~?)の間に五女として生まれました。明治18(1885)年、よのが15歳で宮城県刈田郡円田村小村崎(現:蔵王町小村崎)の佐藤栄吉と結婚したときの大久保家の住所は、宮城県名取郡志賀村(現:岩沼市志賀)でありました。

高祖母・よのの父・末五郎は、同じく志賀村の佐野直吉の五男であり、年代は不明ですが大久保留治の娘・サノの婿養子として迎えられました。高祖母の母・サノは、戸籍に記載がないことから、明治19(1886)年の時点では既に世を去っているようです。

また、高祖母・よのには確認できるところで継母・よし(1846~1909:末五郎と明治16(1883)年に結婚)の子供を含めて他に6人の兄弟がいますが、上は安政2(1855)年生まれ、下は明治21(1888)年生まれということで、最大で33歳離れた兄弟だったようです。

大久保家は、志賀村が千貫村と名を変えたあと、末五郎の長女・はつ(1855~1915)の婿養子として牛野村(現:名取市牛野)の引地甚八の四男・仁助(1847~1923)を迎え、本家を継がせます。

その後は仁助・はつ夫妻の長男・大久保勘治郎(1881~?)が継いでいるようです。


<大久保家直系系譜>
大久保留治→娘サノ婿養子:佐野末五郎(大久保末五郎)→五女:大久保よの(佐藤ヨノ)・・・。
家紋:不明