真剣に家系探求

何かの縁で北海道に集まってきた祖先の歴史を少しづつ紐解いていきます。

今年最後、そしてひさしぶりのチャレンジは・・・

家系のインデックス

 

さいきん、いままで取得した除籍謄本を見直していたのです。

そんな中で、妻の高祖父(母父母父)・相木萬九郎(1848~1926)の実家であり、高祖母(母父父母)・森井タケ(1845~1922)の実家でもある髙谷家の除籍が目に留まりました。

 

北海道茅部郡落部村野田追。現在の二海郡八雲町東野地区。

そこが高谷家があった地です。

 

我が家で髙谷家の除籍を取得できたのは、偶然でした。

高祖母・タケは森井半左エ門(1853~1922)に嫁ぐ以前、髙谷重太郎なる人物に嫁いでおり、そこでタケとの間に生まれた重太郎の忘れ形見、髙谷福松(1864~1908)の除籍に母としてタケが在籍していたのです。

最初は、「あら、傍系の除籍が取れた~」というくらいの気持ちだったのですが、そののちの大正4年式戸籍にタケの父として「髙谷萬兵衛」とあったので、「おりょっ!?」となったわけです。

その福松が戸主となった事由は「明治18年1月13日 当村 髙谷萬兵衛従弟分家」とのこと。

同じく萬兵衛の戸籍に入っていた母・タケも、福松に従って福松の籍に入りました。

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萬兵衛と福松はイトコ。

ということは、萬兵衛の親と福松の親はきょうだい。

「従弟」というくらいですから、福松の親は萬兵衛の親からみたら弟か妹なのでしょう。

それで、タケが亡くなった最後の戸籍を見てみると、

 

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タケは髙谷萬兵衛の長女。

福松のイトコである息子の萬兵衛と同名ですので、萬兵衛の名は世襲のようですね。

とすると、髙谷重太郎は婿養子ということになるのかな?

いろいろと判らない~。。。

 

・・・福松が分家した明治18(1885)年。明治19年式戸籍が編成される前年。

もし、タケの父・先代萬兵エか母・ユリが萬兵衛の明治19年式戸籍に入っているならば、取得できるはず!

 

一縷の望みをかけて、24日に八雲町へ郵送請求してみました。年末で忙しいのに・・・と思いながらですけれど。

 

そして連絡を本日いただき、残念な結果を告げられました(+_+)

 

しかし、「髙谷萬兵衛の戸籍には妻と子しかいないです」との回答を得ることができましたし、「いろいろ検索をかけてみましたが、やはりいませんでした。」とおっしゃってくださいましたので、あきらめがつきました。

先代萬兵エとユリは、明治19年式戸籍編製時点で既に亡くなっていたようです。

 

ちなみに高祖父・相木萬九郎の父は「髙谷萬藏」。名前がそっくりな萬兵衛との関係性も知りたかっただけに、至極残念。

 

実はこの請求は12年前にも行っており、諦めきれずに再度のチャレンジだったのです。

でもこれでホントに終わりですね。

 

その後、ひととおり他の除籍をながめてみましたが、もうワンチャンありそうな除籍は無し。

 

あとは直系の子孫を探して「除籍を取らせていただきたいので委任状を書いてください!」という、超ハードコアなミッションとなります。

わざわざそんないばらの道を歩くなんてMっ気全開ですけれど、ぼちぼちやっていくか~(+o+)

 

どんどんこういうことが厳しくなっていく(法律的にも世間的にも人の心も情報量的にも)のは明らかなので、できる範囲で後悔しないようにミッションを達成してきたいですね!