湯谷家のルーツ【鳥取県鳥取市国府町荒舟】について
前回、「抱き茗荷」と家紋とする妻の曾祖母の実家・湯谷(ゆたに)家について書きましたが、そのルーツの地となる荒舟(あらふね)について調べてみました。
・・・というのも、このブログを通じて釧路市内の遠縁である方と連絡が取れまして、
そのご縁があったことに何かを感じ、この際、深く調べてみようと思ったのです。
その祖先である妻の高祖父・湯谷金蔵(1867~1935)は、最初は釧路郡鳥取村へ届出上1895(明治28)年に28歳で入植。
釧路郡に来てからは、金貸(?)などで財を成していたそうで、入植が割と早い時期であったために好条件で入植できたのかもしれません。
同じタイミングかは不明ですが、両親、兄・善太郎も釧路郡幣舞(ぬさまい)町に入植しています。
その後、理由は不明ですが、市に旧釧路市域の春採地区に土地を用意された上で「そっちに移ってくれ!」と言われたそうで、
大きな土地を取得、一帯は「湯谷部落」と呼ばれていました(今はほとんど子孫の方が手放してしまいましたが、その名は通称として残っているようです)。
「鳥取県法美郡荒舟村」というところにいらっしゃいました。
その後、上舟村→成器村→大成村→国府町→鳥取市と合併を重ねていますが、
荒舟という大字名はそのまま残っています。
江戸期に上荒舟を分村したことから、上荒舟村に対し、「下荒舟」という通称であったそうです。
戸数は江戸時代~現代を通じて、ずっと30戸前後で推移しており、割にちいさな集落であるようです。
その荒舟という変わった名ですが、由来は「古代の荒みたま葬送の地」から起こったという説があるそうで、荒舟の南側に「崩御」や「崩御ノ上」という地名があり、安徳天皇が崩御した地であると伝承されています。
また、集落付近の田んぼや、隣村である上地の上地川対岸には多数の五輪塔などがあり、それらは平家一族のものと伝わっているそうです。
荒舟は、その平家の落人であった木地屋(?)が開村したといい、戦国期には荒舟氏が存在したとも。
かつて、この荒舟地区は養蚕や製炭を主とし、崩御宮で毎年3月12日にはお祭りが行われておりました。
現在は働きに出る方が多くなり、崩御宮のお祭りも行われず、田畑も植林されたり廃棄されて、山に戻ってしまっているそうです・・・。
その地の歴史を、今できる範囲で調べてみましたが、今のところ「湯谷」姓は出てきませんでした。
おそらく、高祖父である湯谷金蔵や、その父・徳平が見た荒舟とは大きく変貌しているのかもしれませんが、
きっと、祖先が荒舟にいた証が今でも何か残されているのではないか・・・、そう希望を持っています。