真剣に家系探求

何かの縁で北海道に集まってきた祖先の歴史を少しづつ紐解いていきます。

ついに最後の地籍簿~西白河郡千田村~

ここ数回、ブログにて地籍簿の解析をさせていただいてきました。

これは、宮城の増子さんよりご提供をいただいた資料。

今まで本格的に手を付けていなかったのですが、それはそれは非常に有用なものでありました。

 

明治15(1882)~25(1892)年くらいの時期に各村によってまとめられた福島県内の地籍簿はほぼ現存しており、全国的にも貴重な資料だそうです。福島グッジョブ!

 

そしてご提供をいただいたうち、地籍簿はこれが最後。

曾祖母の実家である西白河郡千田(せんだ)村(現在の白河市東千田)、藤田家があったとおもわれる字孫八。

かつて訪れた際は、あまりに時間のなさと広大な農地により、1軒だけ尋ねて、あとは探すのをあきらめた経緯があります。

 

以下が孫八の宅地所有者をまとめたもの。

所有者 坪数
藤田佐代吉 522
総持 375
藤田寅次 372
藤田清左エ門 334
藤田半之助 330
藤田半平 262
藤田勘左エ門 246

おぉ、フジタ100%!

総持というのは、村(孫八)内のみんなで保有しているということかしら?


高祖父・藤田松吉(1853~1937)は、明治20(1887)年に千田を離れて東白川郡下山本村松原(現在の棚倉町下山本)へ転籍。

松吉の父は藤田清右衛門。清右衛門の没後に長男の藤田末吉が家督を継いだようですが、明治19年式戸籍編成時点で世を去っています。

この時点で松吉もしくは末吉が土地所有者に名前が連なっていないので、清右衛門は分家して本家から土地を借りていたか、もしくはこの総持の土地が清右衛門家の土地だったのかもしれないですね。

左右が逆の清左エ門さんという名があるのが気にかかりますが・・・

 

なお、字正札(しょうふだ)部分の地籍簿もご提供いただいておりまして、正札の宅地は以下の通りでした。

所有者 坪数
角田久治 478
角田己之吉 465
矢田部吉太郎 375
矢田部寅之助 357
矢田部源藏 317
角田専太 250
矢田部粂吉 140

そう、ここは確証はないものの、藤田松吉の母である藤田タケ(1825~1904)の実家である角田(つのだ)家の実家があったと思しき地。

 

タケについては謎が多く、父母の名前も不明。弟が角田清蔵という名だということしか判明しておりません。

 

そして時期が不明ですが、現在の二本松市東新殿にある本田伴十郎の妻に嫁いだのち、ふたたび松吉の籍に戻ってきています。

f:id:dotouttan:20180210071940j:plainf:id:dotouttan:20180210072017j:plain

▲左が明治19年式戸籍編成時点、右が松吉の戸籍に戻ってきたあと。

 

角田家より藤田清右衛門へ嫁いで末吉・松吉兄弟を授かったのち、清右衛門の没後に本田家へ嫁ぎ、離婚して藤田家へ戻ったという感じです。

なぜそんなに遠くへ嫁いだのか?これもまたミステリー。

なお、かつて相互貸借で読んだ「東村史」には、寛政10(1798)年の千田村組頭として、「清右ヱ門」の名があります。

 

まだまだ増子さんよりご提供いただいて、解析していない資料は残っています。

宮城の増子さん、あなたは私にとっての伊達直人です<(_ _)>