真剣に家系探求

何かの縁で北海道に集まってきた祖先の歴史を少しづつ紐解いていきます。

平野儀三郎について、一縷の望み断たれる

家系のインデックス

 

未だミステリアスな人物、母方の高祖父・平野儀三郎(1866~1939)。

以前、興部に来村された柳原義光伯爵(1876~1946)のお宅に何か伝わっていないかとお尋ねしたところ、伯爵のひ孫様より「戦災で資料が焼失してしまっているので、興部に行ったことも初めて知りました」とのことでした。

非常に残念ではありましたが、こればかりはしかたがありません・・・。

ということでその線はあきらめたのですが、伯爵とともにもうお一方が興部へお見えになっていたのです。

三室戸敬光子爵(1873~1956)。

柳原家から江戸時代に分かれた三室戸家の方。

藁をもつかむ気持ちで、三室戸家には何か伝わっていないかとお手紙をさせていただきました。

 

本日、三室戸子爵のお孫さまよりお電話をいただくとができまして、やはり三室戸家でも、子爵が本郷にお住まいだった際、家が戦災で焼けてしまったということでした。

憎むべきは戦争。。。

 

そして子爵がお亡くなりになった際、お孫さまは中学一年生。

離れて暮らしていたこともあり、ほとんどそういったお話を聞く機会がなかったそうで、興部についてもやはりご存知ないということ。

今回お送りさせていただいた興部来村時の写真も、初めて目にされたそうでした。

 

このような一般庶民へご連絡くださるなんて、非常に光栄で恐縮で上がりまくってしまい、自分でも何をしゃべっているんだろう・・・という感じで、電話を終えてしまいました(;・∀・)無念。。。

 

三室戸さまは夏場に何度か釧路にお越しになったことがあるそうで、次にお越しになった際は、ぜひともお目にかかりたいと勝手に思うところです。

小4の娘がトランペットを吹いているので、三室戸学園が経営する東邦音楽大学のことを少しうかがうことができたのは嬉しかったです。まだまだ先の話ですけれど。

音楽人口が減っているというお話もされておりました。

確かにその後のことを考えると、音楽で身を立てることができる人はひと握りでしょうし・・・。

 

・・・と、またもや平野儀三郎について進展はありませんでしたが、こうしてひとつひとつ紐を解いていくにつれ、だんだん焦りが出てきました。

今月6日で儀三郎の孫である、私のじいちゃんは満96歳。

なんとか真実を知り、伝えてあげたいという思いが募る一方です。

 

そして、想いが強すぎるのか、身分を顧みずに大それた行動をしているのではないかと改めて思案する39歳、大雪が降る釧路の夜。

まだまだこれから降るみたい。雪かきめんどくさい。

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