真剣に家系探求

何かの縁で北海道に集まってきた祖先の歴史を少しづつ紐解いていきます。

謎めくじいちゃんの歴史

家系のインデックス

 

これまでいろいろと情報収集をして、私が生まれる前に亡くなった祖父・菊地幸松(1916~70)の人生を追っていたわけですが、まだまだ以下のようなことまでしかわかりません。

あと知りたいのは・・・、

 ◎小石川で写真を学んでいたらしいが、それがどこかわからない

 ◎写真班として太平洋戦争に従軍。写真班という存在がよくわからない

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▲左からふたり目がじいちゃん

なかなか厳しいかも~(>_<)

 

1916/4/21 0歳 菊地幸太郎・カツ夫妻の長子として、北海道川上郡屈斜路村御料地29番通西第105号地(現:弟子屈町屈斜路エントコマップ)にて出生
1923/4/1 6歳 尾札部尋常小学校入学
1929/3/1 12歳 尾札部尋常小学校を卒業。14回生。担任は川村輝先生
1929/4/1 12歳 札友内尋常小学校高等科へ入学。
1929/?   釧路市にて開催された北海タイムス主催の陸上競技会に出場し、メダルを獲得
1930/? 14歳 父・幸太郎に菊地家放棄宣言。叱られている途中で家を脱出。この年に開業した美留和駅より写真技術を学ぶために東京(小石川)へ旅立つ
    小石川より、弟あてに少年向け雑誌「少年倶楽部」を送付
    弟・幸壽と高幸が火遊びをしていて、屈斜路の菊地家が全焼
1936/4/10 19歳 何かの議員をしていた父・幸太郎が、42歳で逝去
1938/9/14 22歳 日中戦争に伴う臨時招集のため、歩兵第27連隊留守隊に応召。留守第3中隊に編入(歩兵二等兵)
1938/12/24 22歳 召集解除
    肋膜炎を患い、湯治のために弟子屈に来ていた網走郡女満別村本郷在住の2歳年上の女性、太田よしと出会う
1939/11/17 23歳 太田よしと婚姻届出
    斜里郡斜里村字上斜里原野2線91番地(現:清里町上斜里)に転住
1940/4/29 24歳 支那事変従軍により従軍記章簿冊第2401178号として記入のうえ、従軍記章と30円を授与される
1940/5/30 24歳 初子となる長女・由美子誕生
1941/7/19 25歳 充員召集のため歩兵第26連隊に応召、第24歩兵団司令部整備要員として第7歩兵団司令部に充当(二等兵)
1941/8/13 25歳 出征中に第2子となる長男・勝幸誕生
1941/11/1 25歳 一等兵に昇格。満州へ出征
1943/1/17 26歳 召集解除
1943/3/1 26歳 北海道写真師商業組合に50円出資
1944/5/25 28歳 第3子となる二女・陽子誕生
1945/3/25 28歳 臨時招集のため第7師団司令部に応召、独立歩兵第460大隊第1中隊に編入
1945/8/18 29歳 太平洋戦争が終結し、根室にて召集解除
    幸松のみ常呂郡常呂村字常呂256番地へ転住。妻子は妻の実家である女満別村本郷77番地へ
1945/10/6 29歳 妻・よしの実家である女満別本郷の太田家にて、第4子となる二男・晋二誕生。出生届は幸松が常呂郡常呂村役場へ提出
1946/4/28 30歳 二男・晋二が、北見赤十字病院にて夭折
    一家で屈斜路の実家に戻る
1946/? 30歳 弟子屈市街地(現在の平塚写真館の場所)に菊地写真館(光写真館)開業
1947/2/4 30歳 屈斜路にて、第5子となる三男・幸司誕生
1949/6/5 33歳 第6子となる三女・美枝子誕生
1949/6/8 33歳 菊地幸松戸籍編製。本籍地は北海道弟子屈町弟子屈41線西14番地(現:高栄1丁目14番地)
1951/7/24 35歳 第7子となる四男・章誕生
1953/9/30 37歳 第1回弟子屈マチュアカメラ撮影競写会にて弟子屈町より「惠の所」ほか4点が推薦される
1954/12/12 38歳 北海道新聞社主催の弟子屈文化協会創立5周年及び弟子屈高校校舎落成展示会において「摩周湖の静けさ」が推薦される
1956/? 40歳 借金の保証人となったことをきっかけに、菊地写真館(光写真館)が閉業に追い込まれる。清里町へ転住
跡地は従妹・鴨志田美佐子の夫である平塚三郎が写真館として利用
    北見写真師会に在籍
1958/9/27 42歳 弟子屈町高栄1丁目1番1もしくは2号(現:ドコモショップ弟子屈店付近)へ転住。菊地写真館を再び開業
1964/10/15 48歳 長女・由美子が野呂敏明と婚姻
1970/3/11 53歳 標茶町にて、初孫となる二女・陽子の長女・石川直美誕生
1970/6/25 54歳 弟子屈町にて、長女・由美子の長男・野呂敏幸誕生
1970/9/17 54歳 釧路川密漁監視後の懇親会時、脳溢血で倒れる
1970/9/18 54歳 午前4時8分逝去
1970/?   菊地写真館閉業

 

じいちゃんは、酒に弱かったのに好きだったものですから、それが早死にの原因だったのかもしれません。

弟子屈町では2番目に運転免許を取得(札幌まで行って)したらしいです。

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写真屋だけでは厳しかったのか、こんな仕事もしてたみたいですね(前列左からふたり目)。