真剣に家系探求

何かの縁で北海道に集まってきた祖先の歴史を少しづつ紐解いていきます。

夏休み最後の日、もうひとつの進展

家系のインデックス

 

きのうは、ひいばあちゃんの藤田家や、菊地家のじいちゃん、ひいじいちゃんについて得た情報をブログに綴らせていただきました。

さらにはなんとステキなことに、この日はもうひとつの成果がありましたので、これについても残しておきます。

 

弟子屈へ赴く道中には、阿寒郡鶴居村があります。

ここは、妻の早世した曾祖母・山田春野(戸籍名はハルノ。1910~39)の父・千葉菊太郎(1889~1969)の弟が入植した地。

 

その千葉幡太郎は、千葉岩太郎(1868~1911)の三男として明治28(1895)年に岩手県九戸郡九戸村長興寺の千葉家で生を受けます。

大正6(1917)年、21歳の時に同郷で同い年の櫻庭ナミと結婚。すぐ村内の小倉地区へ分家。

 

当時は舌辛村と呼ばれていた鶴居に入植した時期は不明ですが、大正11(1922)年に初子が生まれていますので、大正6~11年の間ではないかと。

 

ちなみに曾祖母・春野は、16歳だった大正15(1926)年に曾祖父・山田綱吉(1904~39)と鳥取村にて結婚しています。

幡太郎からすると姪に当たる春野。

九戸から一緒に舌辛に入ったか、それとも叔父を頼って後に追ってきたかまではわかりません。

幡太郎は三男であったことから、実家付近での生活に限界を感じ、北の新天地に希望を持ってやってきたのでしょう。

 

なお、幡太郎の弟に千葉語郎さんという方がいらっしゃるのですが、語郎さんも大正13(1924)年に舌辛村のおそらくは幡太郎の家に移住。その後は札幌に向かい、スーパーを経営していたそうです。

 

その千葉家。鶴居村ではおそらく大きな農家なのですが、いまだにコンタクトは取ったことはありません。なにせ、現在のご当主の住所も名前もわからないものですから。

手掛かりをつかむべく、ある旅行の途中に雨中で墓地を探したことがあるものの、各集落の墓地には見つけることができなかったこともありました。

そんなことを弟子屈へ向かう道中の鶴居を走行中にふと思い出しました。

 

いったい、千葉家のお墓はどこにあるんだろう?

 

そんなことを考えていたらば、鶴居の市街地にお寺の看板が見えました。

 

・・・!?

 

帰りに時間があったら寄ってみるかな・・・。

 

そして、きのう綴ったようなことを経て、釧路への帰路。

 

子どもたちが学校から帰ってくる14時半までには家に居なくてはならないのですが、鶴居に入ったのが13時半。

行ける!ワンチャン行くぜ!と、看板のとおりにお寺を探して走るも迷子になりました。さすがの方向音痴で意気消沈しかけます。

 

やっとのことでお寺に潜入し、墓地を見渡すと、・・・!?

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いちばん近くに千葉家の墓石が2基!

家紋はどちらも同じ。

1000年以上もの間、九戸神社の神職として仕えている九戸村千葉家と同じ「八曜に月」紋です。

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そして、墓碑を確認すると、ついに!

 

幡太郎さん、初めまして。こちらにいらっしゃいましたか・・・(*^-^*)

幡太郎さんは、昭和28(1953)年に満57歳で亡くなっておりました。
また、同い年の奥さんは、その前年に亡くなっています。

鶴居村史を読むと、村の畜産に関して多大な貢献をしていた幡太郎さん。

けっこうお若くして亡くなられたのですね・・・。

 

これで、はっきりと鶴居村に千葉家が根付いているということがわかりました!

この日のもう一つの大きな収穫でした。

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それにしてもデザインが秀逸な、美しい家紋だなぁ。

 

・・・ん?

改めて、かつて九戸の千葉家より頂いた資料を見てみます。

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月の上部がくっついているなぁ。

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こんなのもあるけど・・・、考え過ぎかな・・・?

 

なお、この資料をいただいたのはもう10年以上も前ですが、そのときに本家の方から、岩太郎の祖父・千葉専蔵(1819~82)が、父・千葉義全(千葉家八代目。1787~1874)と、義全の長男である兄の千葉文寮(九代目。1808~58)より分家した際の文書を、新たに打ち込んだものをいただけました。

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専蔵は「隠居家」を名乗り、本家の隣に暮らしていたそうですが、最近になって無人となり、現在は子孫の方によって碑が建てられています。

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こちらの家紋は、鶴居の千葉家と同じですね。ここから分家したので当然なのかな。