みんな大好き日本姓氏語源辞典
このブログを見てくださっている方々でしたら、みなさまこのサイトはよくご存じでしょう。
宮本洋一氏による、
です。
この宮本氏、わたし(1978年生まれ)よりも2歳年下なんですね(/ω\)
足を向けて寝られない現代の偉人です。
このサイトで、いろいろな発見をいままでしてきたのですが、いま一度つまんでみようと思います。
まず、私の姓である「菊地」ですが、
いちばん多いのが北海道!
もともとは「菊池」であると一説にいわれるだけあり、「菊地」さんには分家が多く、移住する家も多かったのかもしれませんね。
そして、我が家のもともとの姓である「菊池」。
そう、岩手、とくに遠野に多いんです。
そして流刑の地であった八丈島には、菊池さんが多かったりと、さまざまなエピソードを持っている姓です。
そんな中に、郡部として唯一登場している8位の茨城県久慈郡大子町。
そして、「菊池」姓の市町村ごとの割合を見てみます。
貫禄の遠野市。4人に1人が菊池さんです。
学校ひとクラス40人とすると、10人弱が菊池さんだということに・・・(;・∀・)
そして、我がルーツ矢祭町が5位に飛び込んできています。大子町は7位。
この2町でこれだけの割合を占めているなんて、流刑地だった八丈島や青ヶ島はなんとなく理解ができますが、信州菊池の会を擁する長野の佐久地方とともに、何かの謂れがあるのでしょう。未だに謎のままなんですけれど。。。
次に、曾祖母の実家(福島県白河市東千田)および曾祖母の母の実家(白河市東蕪内)および高祖父の祖母の実家(矢祭町東舘)であり、私の体内に濃く血が流れている「藤田」を見てみます。
全国30位。まんべんなく分布している地図となっていますね。とびぬけて浜松に多いようです。
そして、割合でも見てみると・・・
この4つの町はすべて繋がっているのです!
まさに、「藤田ベルト」と呼んでも差し支えないでしょう。
ここは、全国でもトップクラスの藤田密集地帯なのです!
なぜこうなったのかは、未だによくわかりませんけれど。。。
さすがの大勢力。全国37位です。倉敷や千葉の北西部に多い統計ですね。
そんな中、小地域順位の6位に大子町の頃藤(ころふじ)が!
この頃藤ですが、小生瀬の隣の部落なのです。郡部では最上位に輝きました。
小生瀬あたりに行ったときに、看板が石井商店とか石井鮮魚店とか、石井さんばかりで驚いたものです。
そして、祖母の母の実家(茨城県つくば市上里)は「飯島」です。
・・・ああ、つくば市がトップですね。
割合で見てみると、
そのつくば市の中でも上里は断トツに多いのです。
惜しくもなぜこんなに飯島っぷりがすごいのかは伝わっていないのですが、北海道ではあまりいない姓なので、珍しいと勝手に思っていました。
こういう感じで固まっていると、地域の歴史を含むことは調査しやすく、ひとつの家としては調査しづらくもあるわけですね。
昨年、訪問させていただいた大蔵村。
柿崎景家の子孫と伝わるのですが、南山の部落はもうほんとに柿﨑さんだらけ。
お墓も柿﨑さんばかり。家紋も「丸に隅立て四ツ目結」で同じ。しかも墓碑銘を彫らない風習らしく、いったいどの墓石がウチの柿﨑本家のなのかがわからないというまさに混沌とした状況でした。
母方高祖父の実家、宮城県東松島市矢本の「石垣」家もちょっと不思議です。
静岡に最も多く、これは徳川家康の駿府城の石垣を築いた人たちが与えられた姓なのかな・・・と勝手に思ったり。
次いで沖縄の石垣島に多いのですが、由来は内地の石垣さんとは全く違うのでしょう。
6位に東松島が入っています。近くの仙台市青葉区がその上の4位にいるということは、これは青葉城・・・?
なお、私の祖先でもっとも珍しい姓は母方祖母の祖母の実家、新潟市西蒲区河間の「如澤」家なのですが、
ふむ、ルーツは信濃と伝わっており、開拓のために河間に入ったそうです。
河間がある旧中之口村長の如澤寛さんにお話を伺ったところ、「阿弥陀如来」の「如」ではないかと伝わっているとのこと。
北海道の遠軽には近年分家した方がいらっしゃるそうなので、藤沢や横浜の方たちもきっとルーツは同じなのでしょう。
この家々は、分布が集中したりしている家ですが、逆にぜんぜん分布がないところに昔から住んでいたりすると、どうしてここに住むようになったのだろうというまた違った見方になってきます。
たとえば妻の母は「森井」家の出。北海道に来る前は石川県小松市菩提町に住んでいたのですが、いまはもう誰も居ません。
本貫地はおそらく関西の方と思われるので、北前船がらみで石川に一時的にすんでいたのかな?と思われる家です。
・・・と、こんな感じでいろいろ見ていくと、いろいろな発見があるわけですね。
もうほんとに控えめに言って石川氏は神です。