真剣に家系探求

何かの縁で北海道に集まってきた祖先の歴史を少しづつ紐解いていきます。

除籍の80年廃棄と樺太移住のコンビネーション【完結編】

家系のインデックス

 

今回綴ろうとしておりますのは、

この1年半前に綴った記事の続編となります。

 

後輩の家についての戸籍を取得したところ、樺太から昭和24年に釧路市(平成19年に除籍80年廃棄済)へ転籍してきているところまでしかさかのぼることができなかったわけですが、今回進展がありました。

 

きっかけは、後輩のおばあちゃんが亡くなったこと。

 

知ったのが香典を渡すタイミングにはちょっと遅かったことから、余っていた小為替で後輩の家についてさかのぼってみようということになりました。

8月に第1子の女の子が産まれたこともあり、後輩も乗り気になってくれたので、さっそく実行に移したのです。

 

まずは釧路市にのこっている最古の戸籍。

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三原利吉さんの前戸籍は、樺太元泊郡知取町

外務省のホームページによると、樺太の戸籍簿は

大泊郡知床村 戸籍簿 15冊 除籍簿 3冊
大泊郡富内村 戸籍簿 1冊
大泊郡遠淵村 戸籍簿 4冊
敷香郡内路村 戸籍簿 9冊
敷香郡散江村 戸籍簿 4冊
元泊郡元泊村 戸籍簿 8冊

・・・しか日本に持ってこれなかったそうで、知取は対象外です。

 

残念ながら利吉さんからのさかのぼることは不可能。

 

そしたらば、その妻・キノさんからならいけるかもしれない。

 

利吉さんとキノさんの間にはお子さんが6人いらっしゃるのですが、最初の3人は釧路市で産まれています(そのあとの子どもたちは樺太生まれ)。

戸籍の記載はこのようになっています。

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釧路市長が出生届を受付→同年7月18日送付入籍。

 

ということは、釧路市で出生届を出したのち、釧路市からこの子が出生しましたよ~という情報を送付し、戸籍に入籍したということになります。

 

つまり、この子が産まれた時点では、戸籍は釧路市外にあったということです。

 

利吉とキノが婚姻届出をしたのはこの子の出生のちょっと前。

 

そしたらば、キノが婚姻前に居た新潟の戸籍に、利吉の当時の本籍地が記載されているはず!

 

残っていることを願い、新潟県出雲崎町にキノの実家の戸籍を請求!

 

待つこと中4日。

 

すると、ついに三原家が釧路市に来る前の地が判明したのです。

 

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利吉の戸籍には「馬草6番地 山田仁平」と書かれていましたが、ホントは「馬草6番戸 山田仁平治」さんでした💦名前や番地表記が違っても出してくれてよかったです(;'∀')

 

ということで、利吉さんは「徳島県那賀郡坂野村大字坂野字野神」から釧路市に来たことが判明🎉

 

そして、現在坂野村は小松島市になっているということでしたので、三原角藏の戸籍も勢いで請求!

 

小松島市は、先日亡くなった俳優・大杉漣さんの出身地。

そして徳島市出身ですが、プロ野球・巨人のスピードスター、増田大輝選手は小松島高校の出身。

 

三原の本貫地のひとつでもある淡路島にもほど近い地で、三原家は過ごしていたようです。

 

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三男だった角藏はこの後に分家をしているので、この坂野村139番屋敷が本家の地なのだと思いますが、小松島市の担当者に確認するも、現在のどこかはわからないとの回答でした。

政吉さんの除籍でもまだ139番屋敷だったので、その次代の戸籍にはもしかすると小字が書かれているのかもしれませんが、残念ながら直系である三原役藏さんもソメさんも政吉さんの代で亡くなられており、請求できる権利がありませんでした。

 

なお、この役藏という名。変わった名だとおもい「役蔵」でGoogle検索してみると、徳島県愛媛県にしか確認できず、もしかすると地域性のあるお名前なのかもしれません。

徳島市に清水役蔵商店という会社があり、どうやら登記簿によると「えきぞう」と読むようです。

 

取得した謄本8通と家系図Excelで作成して渡すと、後輩はずいぶんとよろこんでくれたので、とてもうれしかったです(←語彙力なし)。

あとは後輩に託します。いいなぁ、四国。行ったことないから行って見たいな。

 

というわけでした、これにてこの件についてはクローズとさせていただきます。