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真剣に家系探求

何かの縁で北海道に集まってきた祖先の歴史を少しづつ紐解いていきます。

平野家についてじいちゃんから得られた情報

母の実家である小清水町平野家には、年に2~3回訪れていますが、

家系の探求を始めてからは、じいちゃんやばあちゃんに言い伝えや本人の歴史などを積極的に聞いています。

 

ただ、じいちゃん(89歳)はすぐ戦争の話に持って行ってしまいますし、

ばあちゃん(82歳)は、何度も同じ話がリピートされてしまうので、

私が知りたい話が聞けるタイミングは僅かです。

 

その中で、今までじいちゃんに聞いた平野家についての伝承を、備忘録的に書き連ねてみようと思います。

じいちゃんのばあちゃんは平野いちといいますが、1863(文久3)年に生まれ、戦後の1953(昭和28)に90歳で亡くなるまで元気だったそうなので、いろいろじいちゃんに伝えていたようです。

 

以下は口伝の羅列ですが・・・

・仁義を通して人を殺めてしまい、身を隠さざるを得なかった。その後は山でサンカ生活を送り、最終的に小榑(こぐれ:現在の東京都練馬区西大泉)に落ち着いた。

 →いつ、どこで殺めてしまったんだろう?

 

・高祖父の父・平野丑松は、なんか適当につけた名前らしい。

 →1827(文政10)年の生まれなので、平民は苗字を名乗れなかった時期。明治期に改めてつけた姓なのだろうか?しかし、まったくの適当ということも考えられないので、なにか曰くがあるとは思いますが・・・。

 

・徳川家伝来の掛軸や印籠があったが、樺太からの引き上げの際のドサクサでどっかにいってしまった。

 →最初は、小榑が尾張徳川家の鷹場となっていたため、その縁でもらったとかかと思っていたが、その後の話で高祖父・儀三郎が東京で買ったものらしいことが判明。先祖代々のものではないようだ。樺太に居た時には季節ごとやイベントごとに床の間に飾っていた。当時、目利きの人が認めていたそうなので、値打ちものであったことは確からしい。

 

・高祖父の祖父・平野仙之助が建てた?寺が小榑にある。

 →寺を建てるなんてすごい話だと思うが、実際には寄付をしたとかの話だろう。その寺はどこかは現状不明。日蓮宗なので、練馬区内のお寺に照会をしているところ。果たして返事はいただけるのか・・・。

 

・・・と、とりとめもなく綴ってみましたが、とりあえずはお寺からのご返事を待っているところです。

 

さらに、名古屋市内で同じ家紋の平野さんからメールをいただいたこともありまして、尾張徳川家との関連は結構疑っているのですが・・・?