真剣に家系探求

何かの縁で北海道に集まってきた祖先の歴史を少しづつ紐解いていきます。

推測し過ぎの平野家年表

家系のインデックス

 

きのうの菊地家に続きまして、母方の平野家にも多くの謎が残っていることから、こちらも年表にしてみました。

年月日 情報源 場所 出来事
時期不明 口伝 小榑 平野家祖先、義を以って人を殺め、名も故郷も捨てて山窩となる。その後、武蔵国豊島郡小榑村字西堤に移り、神社を建立したと伝えられる。菩提寺日蓮宗西中山妙福寺。
宗右衛門(想右エ門)出生。
宗右衛門の子、仙之助出生。
1778 安永7 4/22 墓石 小榑 宗右衛門の身内が逝去。法号は「圓理」。施主・平野想右エ門
    10/29 墓石 小榑 宗右衛門の身内(母?)が逝去。法号は「日乗院妙玄信女」。施主・宗右衛門
1783 天明3 2/21 墓石 小榑 宗右衛門の身内が逝去。法号は「妙淨」。施主・宗右衛門
1786 天明6 1/22 墓石 小榑 宗右衛門の身内が逝去。法号は「妙永」。施主・平野想右エ門
1787 天明7 10/11 墓石 小榑 宗右衛門の身内(父?)が逝去。法号は「深入順信士」。施主・宗右衛門
1819 文政2 1/2 戸籍 田無 武蔵国多摩郡田無村、下田忠蔵の長女・はつ出生。
1827 文政10 9/30 戸籍 小榑 仙之助の長男・丑松出生。
時期不明   小榑 宗右衛門が逝去。法号は「圓誠宗喜信士」。
宗右衛門の妻が逝去。法号は「能持妙臬信女」
丑松と下田はつが婚姻。
1856 安政3 6/20 墓石 小榑 仙之助逝去。法号は「夢覺頓悟信士」。
1862 文久2 11/8 戸籍 上土支田 武蔵国豊島郡上土支田村、加藤長蔵の長男・音五郎出生。
1863 文久3 8/30 戸籍 小榑 丑松(35)・はつ(44)夫妻の長女・いち出生。
1866 慶応2 5/25 戸籍 田無 武蔵国多摩郡田無村、新倉治兵衛・フジ夫妻の次男・儀三郎出生。
    7/3 戸籍 小榑 丑松(38)・はつ(47)夫妻の次女・かの出生。
1875 明治8 4/1 墓石 小榑 仙之助の妻逝去。法号は「情存妙悟信女」。
1879 明治12 3月 資料 田無 新倉儀三郎(12)が田無学校下等小学第四級を卒業。
1883 明治16 4/24 戸籍 小榑 いち(19)と新倉儀三郎(16)が婚姻。儀三郎が平野家に入婿。
1884 明治17 1/24 戸籍 小榑 丑松(56)が隠居。儀三郎(17)が平野家の家督相続。戸籍は小榑1583番地。
    4/6 戸籍 小榑 儀三郎(17)・いち(20)の長男・留五郎出生。
1886 明治19   戸籍 小榑 明治19年式戸籍編製。戸主は儀三郎(19)。本籍地は東京府北豊島郡小榑村1583番地。
    12/20 戸籍 小榑 儀三郎(20)・いち(23)の次男・朝次郎出生。
1890 明治23 4/28 戸籍 小榑 儀三郎(23)・いち(26)の三男・峯吉出生。
1893 明治26 4/18 戸籍 小榑 儀三郎(26)・いち(29)の四男・三蔵出生。
    5/21 戸籍 埼玉 かの(26)が埼玉県入間郡三芳村の忽滑谷家へ嫁入り。
1894 明治27 3/27 戸籍 小榑 かの(27)が約10か月で離婚し、小榑に戻る。
    7/31 戸籍 小榑 かの(28)が加藤音五郎(31)と婚姻。音五郎が平野家に入婿。
    11/19 土地台帳 小榑 丑松(67)、所有の土地の一部を儀三郎(28)に贈与。
    12/9 戸籍 小榑 儀三郎(28)が失踪。
    12/26 土地台帳 小榑 丑松(67)、所有の土地(宅地)を田無町・下田忠左衛門に売却。
1895 明治28 2/17 戸籍 小榑 約3ヶ月間の空白ののち、儀三郎(28)が復帰届。
    2/19 土地台帳 小榑 儀三郎(28)、所有の土地を留五郎(10)に贈与。
    2/23 戸籍 小榑 丑松(67)・はつ(76)夫妻と音五郎(32)・かの(28)夫妻が小榑1582番地に分家。儀三郎一家を独立させた形となる。
    11/30 戸籍 小榑 音五郎(33)・かの(29)夫妻の長男・忠右衛門出生。
1896 明治29 7/17 戸籍 小榑 儀三郎(30)・いち(32)の五男・五郎出生。
1898 明治31 3/3 土地台帳 小榑 留五郎(13)、所有の土地を音五郎(37)に売却。
1899 明治32 7/10 戸籍
口伝
利別 儀三郎(33)・いち(35)の長女・喜代、北海道瀬棚郡利別村字メップ南岸番外地にて出生。
利別以前に瀬棚に入植したものの先人に遅れをとっていて、良い場所が無く失敗。結局、利別へ移ったという話があるので、実際の渡道はこれ以前と考えられる。
1900 明治33 4/22 戸籍 小榑 音五郎(37)・かの(33)夫妻の長女・テツ出生。
1901 明治34 4/8 戸籍 利別 儀三郎(34)一家、北海道瀬棚郡利別村字メップ南岸番外地(現在の今金町種川)に転籍届出。
    4/26 戸籍 小榑 丑松(73)が二度目の隠居。音五郎(38)が平野家の家督相続。
1902 明治35 3/6 土地台帳 小榑 音五郎(39)、下田忠左衛門より元の宅地を譲り受ける。
    7/23 戸籍 利別 儀三郎(35)・いち(37)の次女・ちゑ出生。
1903 明治36 3/11 戸籍 小榑 丑松(75)逝去。法号は「融岳院教法日聴信士」
1904 明治37 4/17 戸籍 利別 ちゑ(1)夭折。
    6/25 戸籍 小榑 音五郎(41)・かの(37)夫妻の次男・弘造出生。
1905 明治38   地誌 小清水 小清水町史に、「明治38年入植 平野儀三郎」の記載あり。
1907 明治40 11/12 戸籍 利別 儀三郎(41)一家、利別村字メップ番外地に転籍届出。
1909 明治42 6/7 戸籍 小榑 音五郎(46)・かの(42)夫妻の三男・政義出生。
1910 明治43 6/26 戸籍 利別 留五郎(26)と瀬棚郡東瀬棚村・及川とよみ(16)が婚姻。
    10/3 戸籍 小榑 はつ(91)逝去。法号は「本理院妙融日鶯信女」。
1911 明治44 10/23 戸籍 利別 朝次郎(24)、瀬棚郡利別村字メップ番外地・滝谷徳太郎の婿養子となる。
1912 明治45   地誌 利別 今金町史に、「明治45年入植 平野儀三郎」の記載あり。
  大正元 11/11 戸籍 利別 留五郎(28)・とよみ(19)夫妻の長女・マツ出生。
1913 大正2 8/11 戸籍 小榑 音五郎(50)・かの(47)夫妻の次女・ナカ出生。
1915 大正4 7/10 戸籍 利別 留五郎(31)・とよみ(22)夫妻の長男・正治出生。
1916 大正5 6/13 戸籍 小清水 儀三郎(50)一家、斜里郡斜里村大字止別村字止別18線2号12番地に転籍届出。
1917 大正6 7/26 戸籍 小清水 正治(2)、網走郡網走町大字北見町南通4丁目の網走病院において夭折。
    10/22 戸籍 利別 朝次郎(30)、滝谷徳太郎と離縁。平野家に復籍。
1918 大正7 1/12 戸籍 利別 朝次郎(31)、瀬棚郡利別村字メップ番外地に分家。
    7/24 戸籍 小清水 留五郎(34)・とよみ(25)夫妻の次女・亀子出生。
1920 大正9 4/19 戸籍 小清水 留五郎(36)・とよみ(27)夫妻の三女・髙美出生。
    7/6 戸籍 小榑 忠右衛門(24)と埼玉県北足立郡片内村・石井そよ(23)が婚姻。
    8/11 戸籍 小榑 忠右衛門(24)・そよ(24)夫妻の長女・君子出生。
    10/25 戸籍 小清水 峯吉(30)、小清水村大字止別村字止別原野16線36番地に分家。
    米田 巣鴨 儀三郎(54)、西巣鴨の学校寄宿舎火災より、北海道興部村出身の米田久興を助け出す。
1922 大正11 2/1 戸籍 小清水 喜代(22)と小清水村大字止別村字止別原野161番地・竹村菊治が婚姻。
    3/6 戸籍 小清水 留五郎(37)・とよみ(29)夫妻の次男・政次出生。
    8/13 戸籍 小清水 忠右衛門(26)・そよ(26)夫妻の長男・勝出生。
    12/2 戸籍 埼玉 テツ(22)と埼玉県北足立郡美谷本村・中村澄冶が婚姻。
    米田 興部 儀三郎(56)が縁を取り持ち、柳原義光伯爵(46)と三室戸敬光子爵(49)が興部来村。儀三郎が同行したかは不明。
1923 大正12 4/9 戸籍 小清水 三蔵(29)、小清水村大字止別村字止別17線35番地に分家。
1924 大正13 3/15 戸籍 小清水 留五郎(39)・とよみ(31)夫妻の三男・慶治出生。
    12/2 戸籍 小清水 五郎(28)、小清水村大字止別村字止別16線29番地に分家。
1925 大正14 1/15 戸籍 小榑 忠右衛門(29)・そよ(28)夫妻の次男・正平出生。
1926 大正15 1/30 戸籍 小清水 留五郎(41)・とよみ(32)夫妻の四女・チヨミ出生。
1927 昭和2 11/25 米田 竜泉寺 儀三郎(61)、東京市下谷区竜泉寺350に居住。土地所有者は近所の松永榮次郎氏。興部の米田常作氏に手紙を出す。
1928 昭和3 1/15 戸籍 小清水 留五郎(43)・とよみ(34)夫妻の五女・菊惠出生。
    5/16 戸籍 小榑 忠右衛門(32)・そよ(31)夫妻の次女・正江出生。
1930 昭和5 3/12 戸籍 小清水 留五郎(45)・とよみ(37)夫妻の六女・ジヤウ出生。
    8/10 戸籍 小榑 忠右衛門(34)・そよ(33)夫妻の三女・好子出生。
1931 昭和6 1/19 戸籍 小榑 音五郎(68)逝去。
1932 昭和7 5/19 戸籍 小清水 留五郎(48)・とよみ(39)夫妻の七女・富美子出生。
1933 昭和8 6/26 戸籍 斜里 マツ(21)と山形県米沢市南町・山田清巳が斜里村において婚姻。
1934 昭和9 7/28 戸籍 小清水 留五郎(50)・とよみ(41)夫妻の八女・武子出生。
1935 昭和10   口伝 樺太 儀三郎(69)と留五郎(51)一家、樺太恵須取郡恵須取町へ移住(届出は3年後)。
いち(72)は小清水村に残り、長女・喜代(36)の嫁ぎ先である竹村家に身を寄せた。
1937 昭和12 10/3 戸籍 樺太 留五郎(53)、罠にかかったヒグマを処分しようとして返り討ちに合い、急逝。
1938 昭和13 6/4 戸籍 樺太 亀子(19)と樺太豊原市大字豊原字西3条1-1、山本秀勝が婚姻。
    8/20 戸籍 樺太 平野家、樺太恵須取郡恵須取町大字上恵須取字布札南2線69番地へ転籍届出。
1939 昭和14 2/22 戸籍 樺太 儀三郎(72)が脳卒中で急逝。政次(16)が平野家の家督相続。
1943 昭和18 4/1 兵籍 樺太 政次(21)、現役兵として歩兵第25連隊歩兵砲中隊に入営(二等兵)。国境警備に着任。
1945 昭和20 8月 口伝 樺太 太平洋戦争終結後、ソ連軍が樺太への侵攻開始。恵須取もソ連軍の侵攻を受ける。平野家はなんとか帰国するも、政次(23)はソ連の捕虜となり、シベリア抑留生活を余儀なくされる。
1949 昭和24   口伝 小清水 政次(27)が帰国。
    10/16 戸籍 小清水 平野家、斜里郡清水村大字蒼瑁村字北砥草原番外地へ転籍届出。
    10/25 戸籍 小清水 政次(27)が樺太時代に近所であった、空知郡北村の皆川ゆき(20)と婚姻。
1953 昭和28 9/5 戸籍 小清水 いち(90)が竹村家において逝去。
      戸籍 小清水 政次(31)一家、小清水町東野に住居を新築(現在も居住中)。

気になるところとしては、

〇丑松夫妻の子ども二人については、妻・はつの出産時年齢(44歳と47歳)が不自然に感じる。絶対違うとは言い切れないが・・・。

小清水町史と今金町史の儀三郎入植時期の記述が、言い伝えや戸籍と食い違っている。

〇小清水の家は、既に築65年!新築の際は、じいちゃんも手伝ったり、職人に道具を貸したりしたそうだ。

〇ばあちゃんは、じいちゃんとの結婚の際に「こんな毛むくじゃらな人いやだ~(>_<)」と思ったらしい。←年表関係ない!

〇赤文字の部分について、未だ高祖父・儀三郎と同一人物なのかが特定できていない。なにか新たな切り口はないものか・・・。→いまのところはこんな状態