真剣に家系探求

何かの縁で北海道に集まってきた祖先の歴史を少しづつ紐解いていきます。

帰省がてらの家系探求

5月3日から6日まで、久しぶりに函館へ帰省。

最近は妻の社会復帰や娘の部活でなかなか遠出が出来ず、函館への帰省も丸1年ぶりとなりました。

 

3日は妻の仕事が終わってからだったので、14時半ころに釧路を出発。

十勝平原と樽前での2回のトイレ休憩をはさみ、出発時間が遅かったので渋滞にもはまらず、約6時間で実家からほど近い七飯町峠下のラッキーピエロ本店へ到着。

そしたらば、店からはみだすほどに飢えた人々の列が!

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なんということでしょう。せっかくスピーディーに七飯まで着いたのに、テイクアウトできるまでそれから1時間20分ほど待つことになりました。

その後はガソリン補給をしつつ実家に向かったので、結局22時に到着。さすがに腹ペコでございました。

 

翌日、桜が散りかけているのにもかかわらず大混雑の五稜郭へ。

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駐車場から私だけ別行動です。

事前の調査で、五稜郭の隣りにある函館市立図書館に渡島国第六大区二小区茅部郡落部村戸籍簿(1875年、66丁)」というストレートな題名の蔵書があるのを知り、チャンスを狙っていたのです。

落部村は、妻の母方祖父が生まれ育った地。さっそく閲覧の申し込みをし、ドキドキしながら約20分ほど別室で待機。

すると、ついに司書さんの手に神々しい戸籍簿原本が!

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10年以上も家系探求をしておりますが、これほど旧い書物に触れるのは恥ずかしながら初めての経験です。

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さすが日本が誇る和紙。明治8(1875)年の冊子ですから140年以上経つのに、しっかりとした手触り。少しも脆さを感じさせません。

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そんなことに感動しながら、一枚一枚、ゆっくりと自分をじらすようにめくっていきます。

探している祖先の名である相木高谷森井といった姓がなかなか出てきません。

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そのまま最後のページをめくり終わってしまいました・・・。

 

ブフォォォォ・・・・。

しばし、外の桜をみながらノーミソを休ませます。

なぜ載っていないのでしょうか?

詳細は理解できておりませんが、標題が「落部村戸籍簿」。私はてっきり村の全員が載っているものだと思いこんでおりました。

しかし、ページ数は66丁。

1丁は1枚の紙を半分に折ったもの(A3の用紙を半分にして綴じるとA4の裏表ができるような感じ)。

ひとつの家について記載するのに、最低1丁、人数が多ければ2丁が必要。

66丁ですと、多く見積もっても60くらいの家についてしか記されてないことになります。

明治8(1875)年当時、落部村にどれくらいの戸数があったかはわかりませんが、八雲町史に記載がある一番近い年である明治12(1879)年については、
 戸数~146
 人口~797
・・・とありますね。

ちなみにこの時点では、落部村のほうが八雲村よりも人口が多かったようですが、明治20年代前半にぶっちぎられています。

それをふまえて戸籍簿を撮影したものを改めてみてみると、1番屋敷~52番屋敷しか記載がありません。

ぜんぜん足りませんな(*_*;

おそらくこれは、何冊か綴りがあったうちの一冊なのでしょう。

もろくも野望は潰えたり・・・。

 

しかし、当時の物質に触れることが出来たのは貴重な体験ではありました。せめてもの思い出です。

 

そんな失意の中でもちゃんと桜は見てきましたよ。五稜郭タワーに登る行列がハンパなかったので、お堀の周りを散歩しただけですが。早く咲いた枝は、もう葉桜になっておりました。

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その日と翌日は実家とともに行動し、激混みの函館と七飯を周遊。あっという間に釧路へ帰る日となってしまいました。

 

その道すがら、もう一つ目的が。

妻の母方祖父が生まれ育った落部の村社である落部八幡宮の参拝、

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と、御朱印をいただくこと。

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由緒書きを読むと、妻の祖父が育ったころとは場所も社殿も変わってしまったようですが、やはり感慨深いものです。

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そしてもう一つ。

9年前に探したものの見つけられなかった、相木家と高谷家のお墓を捜索!

既に妻の祖父が、落部にあった森井家の墓は仕舞っており、釧路に移しています。

残るはその上の世代である相木家と高谷家なのですが、かつて「落部墓地」という場所を捜索したものの、見つけられなかった過去があります。

今回は、八雲町のホームページで見つけた「野田生墓地」を捜索します。

ちょっとややこしい話になりますが、妻の祖父が育ったのは茅部郡落部村野田追(のだおい)という地。

森井家も相木家も高谷家も、すべて本籍はこの野田追でした。

この野田追という地は、野田追川から見て東側に存在。

 

そしてもうひとつ。

明治45(1912)年の旧土地台帳には、妻の曽祖父である森井半次郎の住所として「山越郡山越内村字ガンビ岱52番地」と記されております。

このガンビ岱という地名は道内各地にあり、ガンビとは白樺の木のこと。おそらくは白樺が多く自生していた地なのでしょう。

その山越内のガンビ岱は、昭和31(1956)年にもともと存在した地名である野田生(のだおい)の一部となります。

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この山越内村野田生は、落部村野田追と野田追川を境にして西に存在しています。

 

 野  野  野
 田  田  田
 生  追  追
    川

 

・・・なぜか上記のような状況に。

自治体が異なるのでこういったことになってしまったのかもしれませんが、落部村も八雲村に合併され、八雲村野田追と八雲村野田生が隣り合うという、まさに混沌とした状態になってしまったのです。

あまりにもややこしいので、いつの日にか先に命名されたはずの野田追のほうが東野と地名を改称されてしまいました。

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詳しくはどこ探しても書いてないので、なぜこんな事態になったのかは不詳でございます。

 

話は戻って野田生墓地ですが、雨の降る中駆け回った結果、まったく収穫なし!

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いったいお墓は何処へ・・・?

相木家は釧路、高谷家は函館に多く移っているようなので、森井家と同じく墓仕舞いをして、他所にお墓があるのかもしれません。

さぁ、また暗礁に乗り上げたぞ!