真剣に家系探求

何かの縁で北海道に集まってきた祖先の歴史を少しづつ紐解いていきます。

出たとこ勝負の東北旅行

10月11日の金曜日。

台風19号が迫る中、菊地一家4名は朝7時前に釧路を出発。新千歳空港まで4時間の長い旅路でしたが、そこからはたった1時間のフライトで仙台空港へと降り立ちました。

 

空港に着くと、私が荷物待ちの間に妻子は超絶ダッシュで目をつけていたずんだシェイクを買いに行き、空港内のデイリーヤマザキで傘を購入。10分ほど離れたタイムズレンタカーさんに、お店へと送っていただきます。

今回の相棒はブルーのカローラフィールダー。ご当地仙台ナンバー。
昨年つくばで借りたフィットだと荷物が積まさらなかったので、今回はエステートボディのクルマにしました。

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まず最初に向かったのは、宮城県岩沼市志賀にある洞林寺。

ここには妻の祖母のそのまた祖母の両親の家である、大久保家佐野家の墓地があります。

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家族4人で急勾配に点在する墓石をひとつひとつ探していき、大久保本家の墓石は見つけることができました。

以前資料をご提供いただいた、宮城の増子さんよりいただいた写真と同じ墓石。妻子にとっては遠い祖先のお墓です。

 

もう一つの佐野家は、知っている名前である佐野直吉という名が旧すぎて特定できませんでしたが、数軒あった佐野家の墓石を見てみると、ほぼ家紋は三つ巴。

 

増子さんからいただいた旧土地台帳の情報によると、このお寺の他にも、志賀地内に独立墳があるようだったのですが、今回(に限らないけど)は非常にタイムスケジュールがタイトなのであきらめることとしました。

今にも雨が降り出しそうな雲行きでしたし。

 

志賀をあとにし、道の駅村田でトイレタイム。

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この柴田郡村田町は私の母方高祖母の父が生まれた安田家の地。墓所の存在も明らかなのですが、あまりにも広大なためにここもパスすることにしました。

 

そして蔵王町に入り、小村崎地区の墓所へ。

ここは妻の曾祖父である佐藤今朝二郎が生まれた地。佐藤栄吉の長男である今朝二郎が駆け落ちで釧路に来てしまったことから、次男の系統が跡を継いでいます。

綺麗な金色の稲穂の真ん中にある墓地。広くてなかなか苦労しましたが、無事に佐藤家の墓石を発見してお参りすることができました。

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ひいじいちゃんの親不孝を詫び(外様の私が言うのもなんですが)、これからも北海道の子孫たちを見守ってくださいと。

 

そして宮城県を抜け、山形県に入ります。

村山市の「道の駅むらやま」でおみやげを買ったりし、初日の宿泊地である最上郡大蔵村へ。

 

目的地の肘折温泉は、妻の母方祖母が生まれた柿﨑の家がある大字南山に含まれる地。
500年以上の歴史を持っている温泉地です。

そして、以前お便りをさせていただき、南山の柿﨑家のことをいろいろお調べいただいた柿﨑さんが経営されている旅館に宿泊。

銅山川のほとりで、川の流れる音が心を癒してくれます。

 

温泉は塩分の多く含まれているそうで、さらに茶色が濃く湯船の底が見えないけど、さらさらで体の芯まで温まるお湯でした。

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ご飯は山菜やきのこがメインで、名物の芋煮もいただくことができました。あまりに美味しかったので、妻が「家でも作ってみる!」と張り切っています。

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2日目、朝5時半から開催されているという朝市に出向いてみました。

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地元のおばあちゃんとやりとりをしたり、肘折こけしを買ったりと楽しんだ後は、いよいよ南山の塩集落へ向かいます。

 

妻の祖母からみると、さらに祖母の実家である森家、そして曾祖父の実家である柿﨑家にお会いできる段取りを、旅館の柿﨑さんがつけてくださったのです。

10年ほど前、大蔵村に関わる十数軒のお宅にお手紙をしたのですが、1軒だけご返信いただけたのが最初にお邪魔する森家のお母さんでした。

その森家、高祖母の父である森栄助(1853~1928)が建てた家。すでに築150年を優に超えているそうです。

 

森さんのお母さんや、その息子さん夫婦にいろいろお話をうかがい、豪雪地帯である大蔵村でびくともしない栄助さんが建てた家を見せていただき、手作りのおこわやドーナッツなどでおもてなしをいただいてしまいました。

 

次は柿﨑家。急坂の中腹にあった柿﨑家は、本家ともいえる柿﨑五三郎さんの子孫であり、大正13年生まれで95歳のおばあちゃんとおじいちゃん、そして息子さんにおもてなしを受けました。

どうやらおばあちゃんに話を聞くと、釧路に来た大叔父の1歳上で、一緒に小学校に通った間柄だそう。

祖母の柿﨑家は五三郎の三男が柿﨑権兵衛さんの家に養子として入っていて、権兵衛さんが一番古い名なのですが、昭和4(1929)年に権兵衛さんが亡くなり、その長男である運次郎(1878~1943)や、その長男の作次郎(1902~1966)たち兄弟は釧路に来てしまったため、跡継ぎの居なくなった権兵衛家は文字通り無くなってしまったとのこと。

 

いろいろなお話を伺っている中で、おばあちゃん(おばあちゃんも同じ集落の柿﨑家出身)がお嫁に来た際に渡されたという戸籍謄本を見せていただきました。

それは、大正4(1915)年に村役場が焼けた際に燃えてしまった謄本の写し。すでに取得して100年以上経過したものでした。

目の前に存在している紙があんまりにも衝撃過ぎて、しばらく呆然と眺めていましたね。

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なぜ運次郎が釧路に来てしまったかは結局わからずじまいでしたが、柿﨑のルーツは何も残されてはいないものの、新潟柏崎の柿﨑景家だと伝わっているとのことでした。

 

その後は雨の中、塩集落をはじめとして清水や合海で祖母に関わる各家の墓所を探したんですが、同じ姓がありすぎるうえ、墓碑的なものが何も刻まれていないので、さっぱり目星すらつけることができませんでした。

 

とにかく村のお墓のほとんどが、前面に「〇〇家之墓」というのと、家紋と屋号、そして背面に建立した人の名前と建立日しか彫られていないのです。

戒名や俗名の類いは一切なし!

ツルツルあっさりした墓石ばっかりです。

このような事態は初めて。なんだか隠れ里みたいな地域なのかしら?・・・。

 

それにしても、聞き忘れた柿﨑家の屋号だったんですが、

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え!?「ヤマ5」みたいな?アラビア数字とかありなの?

 

國分家は「丸に木瓜」紋。

小関家は「三つ・・・?」え?なにこれ?

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その後は秋田県へ北上し、雄勝で小休憩。

現在は横手市となった十文字の道の駅で釧路ラーメンに似ている名物、あっさりとした「十文字ラーメン」をすすり、横手市内を散策。

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秋田ふるさと村ババヘラアイスのおばちゃんと巡り合うことができ、初めて本物のババヘラアイスを食べました。んもうすんげぇ美味しい!

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食べている最中におばちゃんのガラケーが鳴ったので「どうしたんですか?」と聞いたところ、「台風だからそろそろ上がって~」と社長からの連絡だったとのこと。ババヘラアイスにも社長がいるんだ!と、不思議な驚きでした。

 

ふるさと村では、トリックアートやアスレチックを堪能して子どもたち大はしゃぎでした。思えばこの旅行で子どもたちがいちばんはしゃげたのはここだったかも・・・(;'∀')

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晩には横手焼きそばを食べようとしたものの、行こうと思っていたお店が台風で営業しておらず×2・・・

なんとか、食い道楽さんというお店でいただくことができました!安くて美味しい!

ちょっとだけS&Bのホンコンやきそばに味が似てないかしら?(個人の感想です)

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そして、ついに台風19号の夜がやってきました。

秋田はたぶんそれほどでもなく、露天風呂で裸体に強風を浴びたりできたのですが・・・

ニュースでは、どんどん深刻さが増していく様子が映し出されています。

関東圏がいちばんひどいと思われていたのが、東北にも大きなダメージ。

まさかあんなに川が氾濫しまくるなんて想像もしていませんでした。

昨年訪れた茨城県大子町も、あんまりにもひどいありさまになってしまいました・・・。

私たちは難を逃れたものの、翌日以降のスケジュールは不透明に。

 

まずは岩手県花巻市に向かいます。花巻はわんこそば発祥の地。

宮沢賢治の生家にほど近い、賢治が常連であったという「やぶ屋総本店」でわんこそばに挑む予定。

 

太平洋沿岸の釜石市が冠水し、ラグビーのカナダ対ナミビア戦が中止になったというニュースが流れていたことから、おそば屋さんが営業するかすらわからないまま不安な気持ちで不自然なほど青空の中を走行します。

しかし花巻はそれなりに内陸で、川の決壊もなかったことから街は無事。わんこそばにも挑むことができました!

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11時開店で10時半から並んだらば一等最初でして、11時からわんこそばスタート!

気合を入れてすんごく美味しいおそばを飲み込みまくりますが、朝飯を食べてからそんなに経っていないこともあり、わずか33杯でギブという後悔する結果に。

妻は44杯、小6の長女が17杯。

 

娘がギブアップしたのちもまだ小2の息子はのそのそと食べ続けていました。どうやら姉に勝ちたい気持ちでいっぱいのようです。

もう完全にやばそうな表情を浮かべながらゆっくりと17杯目を完食し、18杯目がお椀に入りました。

そして、彼は食べ切ったのです。これを執念をいわずに何と言おうか!

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すぐさま苦しそうに畳へ突っ伏す息子。こんなお店の中で〇〇ちゃったらたいへん!
しかしながらなんとかいちばん苦しいところを凌いだようで、動き出しました。一安心(*^^*)

思ったより食べられないもんですね。10杯でかけそば1杯分だとおねえさんに教えていただきましたが、もう100杯とか信じられないですよ。

記録だと250杯以上食べた人がいるらしいですが、何回か挑んでコツをつかまないと無理!

 

その後は妻の念願だった世界遺産平泉へ。

しかし毛越寺の駐車場が営業中止になっている・・・。でもクルマは停まっている?

とりあえず停めて毛越寺に行ってみると、通常通り拝観できるとのことで一安心。

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中尊寺も同じで、駐車場代が浮きました。

撮影NGの金色堂を拝んで心に刻むことができましたし、世界遺産平泉を満喫することが叶い、大満足。

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中尊寺の参道は角度も距離も半端なかったっす。

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夕食は一関で初「かっぱ寿司」へ。「あんまりはま寿司と変わらない」とは娘の評。

そういえば一関で見かけたシルビアですが、平泉ナンバーでもこういうクルマがいるんだ~って感じで、いとをかし。

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宿泊は奥州市水沢。ここはエンジェルスの大谷翔平が生まれた地ですが、あまり大谷を感じることもなく過ぎていきました。

 

翌14日の月曜日。

その日は石巻市石ノ森萬画館を見学し、女川付近で震災の爪痕を感じ、私の母方ひいばあちゃんの出身地である東松島市矢本で墓所の散策をするつもりでいたのですが、吉田川の氾濫などによりあちらこちらで道路網が寸断されている状況。

無理に石巻方面に行くことは得策ではないと判断し、苦渋の選択でしたが矢本に行くのはあきらめることに。

被害の大きかった大郷町を何とか通り抜け、松島へ。

道中の大郷町では道路は泥だらけや陥没、畑も冠水しており、子どもを含む町民が泥を片付けていました。そんな中を観光で走っているなんて、とてもやりきれない気持ちでいっぱい・・・。

 

なんとか辿り着いた松島は、日本三景の一つ。

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おととし行った京都宮津市天橋立に続き、これで日本三景を二か所制覇!あとは広島かぁ・・・遠いなぁ。

 

そして伊達家の菩提寺である瑞巌寺を拝観。これぞ古刹!というド迫力の院内(撮影NG)でした。


さらに松島蒲鉾本舗で笹かまの手焼き体験。うまいこと焦がすのが難しかったですが、自分たちで焼いたものを美味しそうに食べる子どもたちを見ていて、やっと平静な気持ちになってきました。

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松島をあとにして仙台へ向かいますが、通行止めだったり行き止まりだったりでナビが頼りにならずにめちゃめちゃタイムロス。

仙台ではまず最初に楽天生命パークへ。その日から今シーズン終戦となった楽天イーグルスが秋季練習をしていたのです。

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雨が降り出した中、子どもたちは初めてのプロ野球の球場ではしゃいでいました。ここは外野席が椅子ではなく芝生なんですね。外野席の後ろには観覧車やメリーゴーランドがあって子どもたちが楽しめる工夫がされており、いいなぁこういう球場。日本ハムもこういうのを目指しているんでしょうね。

グラウンドでは各選手がめいめいストレッチやキャッチボールをしていまして、その中でもストッパー松井裕樹のキャッチボールが速いのなんの!ベイスターズファンではあるものの、ただの野球ファンでもあるため、めちゃめちゃ一挙手一投足に感動でした。

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いちばん最初にバッティング練習で打席に立ったのが元ベイスターズの藤田一也だったのも嬉しかったですね。

 

すっかり雨は本降りに。青葉区広瀬通のホテルにチェックインし、少し休んで夕食を食べに行きます。

仙台駅前の「たんや善治郎」。妻の大好物である牛タンを食べに行くのです。

実は私は牛タン苦手。子どもたちは食べたことがないという中で、メニューには牛タンがらみの料理のみ!

しかしここは妻のため!意を決して私は牛タンカレー、子どもたちは牛タンシチュー、妻はスタンダードに定食を頼みました。

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そしたら、今更だけど牛タンってガチうまいじゃん!って、そりゃあなりますよね。子どもたちも大絶賛でしたよ。

腹にズシンと来るので、ざんねんなことに子どもたちが残した分まで全部は食べることができませんでしたけど。

 

最終日は瑞鳳殿伊達政宗とその一族の御廟をお参り。

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なお、息子の帽子がベイスターズからイーグルスへと変わっております。

 

最後は八木山動物公園へ。

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初めて見るカピバラ、ワニ、ラクダ、サイに感動し、

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ロバや羊の可愛さにメロメロになり、

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レッサーパンダの愛らしさに癒されてきました。

 

カンガルーはどこの動物園に行ってもぐうたらしてるんですが、そんなもんなんですかね?

 

そんな4泊5日の旅。石巻や矢本に行けなかったのは痛かったですが、こんな状況ですので仕方ありません。

いろいろお世話になった大蔵村のみなさまに感謝です。

 

来年は娘が中学生。こういった長い期間の旅行は最後だったかもしれません。

でも楽しい思い出がたくさん作れたので、その思い出を胸にこれから生きていこうと思いました。

 

カローラフィールダーでの走行距離48837km→49468km=631km

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▲当初の予定