真剣に家系探求

何かの縁で北海道に集まってきた祖先の歴史を少しづつ紐解いていきます。

諸説ありのパターン

家系のインデックス

 

高祖母の母(父父母母母)である藤田タツ(1846~1917)。

もともとは福島県西白河郡蕪内村(釜子村→東村の大字となって、現在は白河市東蕪内)、岡部弥七の二女として生を受けています。

 

この岡部家については以前も記したことがあるのですが、東村史によると・・・

「加茂を以て氏神とす。加茂県主氏にして遠祖は鴨の武津身の命なり師朝なるもの遠州敷島の郡浜松の庄岡部の郷に居り姓を岡部という」

 

そしてさらに調べてみると、静岡県浜松市中区に「伊場」という地がありまして、その地についてWikipediaの記述を見てみます。

「東伊場はかつて、山城国相良郡の賀茂神社の荘園で岡部郷と呼ばれていた。伊場と呼ばれるようになった時代や理由は定かではないが、賀茂神社領の斎場(いみば)であったところから「いば」に転じた。この領地を所有していた岡部氏はかつて京都上賀茂神社の神官をしていた賀茂成助にはじまり、成助の子孫にあたる賀茂師重の長女筑前局が文永年間に岡部郷を領地として賜り、筑前局の弟の孫にあたる賀茂定朝が京都からこの地に赴き土着した。国学者賀茂真淵はこの一族である。」

 

さらに伊場の賀茂神社の由来を引用させていただくと・・・、

「創建は鎌倉時代、文永の頃である。当時上賀茂神社の神官だった賀茂諸重の師童の娘、筑前局が朝廷の女官を退官後に遠江国浜松庄岡部郷を封地として与えられ、その封地に一社を構えたのがこの伊場の賀茂神社であった。その後、築前局の子孫が姓を岡部と改め、当主が代々賀茂神社の神官をつとめてきた。」

 

もうすこしいろいろとネットで調べてみると、山城国相楽郡加茂町(現在の京都府木津川市加茂)の岡田鴨神社(賀茂氏の祖である建角身命を祀る)の荘園で、遠江国敷知郡岡部郷と呼ばれていました。

・・・となるとわかり易くなるのかな?

 

その岡部郷を発祥とする岡部氏ですが、太田亮氏の「姓氏家系大辞典」によると藤原南家・二階堂爲憲(藤原爲憲、Wikiによると工藤為憲?)を祖としているようです。

爲憲から、時理―時信(駿河守)―維永―維綱(船越四郎)―清綱と繋がり、清綱が初めて岡部郷に居住して、岡部權守と名乗ったそう(Wikiによると「入江清綱」となっていて、その子が岡部泰綱)。

この後裔で、伊場に賀茂神社末社神職を代々務める旧家の分家筋の農家・岡部政信の子が、歌人賀茂真淵(1697~1769)とのこと。

 

ぬぬ・・・太田亮氏の説だけ毛色が違うぞ・・・。二階堂氏をしらべても賀茂氏と繋がらないし(;・∀・)

 

その一族が、今の白河市東蕪内に居住するようになったのはなぜなのかは知れませんが、当岡部家の祖先は賀茂氏もしくは二階堂爲憲からつながる系譜なのだという説があることがわかったところで終わりにします。

 

諸説ありって、こういう感じなんですよね。。。