真剣に家系探求

何かの縁で北海道に集まってきた祖先の歴史を少しづつ紐解いていきます。

明治19年式戸籍編製時期について

家系のインデックス

 

明治19年式戸籍。

われわれが目にすることができる最古の公的書類。

 

明治4(1882)年に戸籍法ができ、翌年よりいわゆる壬申戸籍が編製されたものの、職業や宗派や犯罪歴など、見られると困っちゃうかもしれない情報が載ってしまっていることから、現在は仮に遺っていたとしても、存在しないものとされています。

 

明治19年式戸籍は、その壬申戸籍をベースに、明治19(1886)年の戸籍制度改正によって編製されたもの。

現在でも、平民や士族といった族称等が塗抹されてはいるものの、正当な手続きを踏めば取得できる貴重な資料です。

 

ただし、平成22(2010)年までは「除籍簿は、除籍後80年経過するまで保存し、証明として発行する」というような法律であったため、除籍となって80年が経過した除籍簿については処分しちゃってもよいこととなっていました。

現在は法改正で除籍後150年まで延ばされておりますが、平成22年時点で80年経過、つまり最も最近のもので昭和5(1930)年までの除籍簿は、闇に葬られていてもなんら行政の落ち度はないのです。

なんということでしょう。それらの戸籍簿は、各市区町村判断で融解されたり裁断されたりして、世の明治19年式戸籍の何割かはすでにこの世に存在しないものとなっているのです。

物理的に保管場所が限られている都市部や、電算化してシステムによって80年経過した時点でデータを削除するようになっていたりだとか、さまざまな事情や方法で貴重な資料が処分されてしまいました。

また80年保存の法律とは関係なく、戦時中の爆撃によって焼失、役場が火災で戸籍簿もろとも全焼・・・といった、災害によって失われてしまった戸籍簿も・・・。

そういった戸籍簿は完全な状態では再製できず、中途半端な状態で再製されたりしていますね。

戸籍簿の副本は法務局で管理してはいるものの、常に最新の状態というわけではないはずです(昔はどうだったかはよく解っておりません(;'∀'))。

 

ちょっと違いますが、かつて日本の領地だった樺太北方領土の戸籍も、一部を除いてほとんどが戦乱によって失われてしまっています。

 

さて、本題ですが、このわれわれが目にすることができる最古のA級資料である明治19年式戸籍。
どうやら編製された時期については、地域差があるようなのです。

壬申戸籍からの移行が遅くなったところは、おそらくよその町村が切り替えていく中でも、一定期間は壬申戸籍で事務を行っていたのだと思います。

 

私の知るところでは、茨城県久慈郡大子町

高祖母の実家である石井家の明治19年式戸籍の本籍地が、「茨城縣久慈郡生瀬村大字小生瀬248番屋敷」となっています。

f:id:dotouttan:20210109101017j:plain

戸主は明治17年に相続しているので、これが遺っている最古の明治19年式戸籍。
しかし、「生瀬村大字小生瀬」とあります。

これは、明治22(1889)年に全国的に積極的に進められたいわゆる明治の大合併により、小生瀬村から生瀬村の大字となったことによる地名です。

つまり、少なくとも生瀬村となった明治22年までは壬申戸籍で事務をおこなっていたと想像ができるのです。

また、同じ大子町では、明治26(1893)年や明治29(1896)年編製(前戸主隠居等による)の戸籍簿よりも古い除籍簿は存在しないという例も確認されています。

もしかすると明治30年くらいまで、壬申戸籍での運用が行われていたのかもしれません。

茨城県では、私が知る限りでは現在つくば市上里となっている旧・牛縊村は大合併前に明治19年式を編製しています。

f:id:dotouttan:20210109101137j:plain

私の手持ち資料では大子町の他にそういったところは見受けられませんでしたが、明治19年式への切り替えがもっと早ければ、得られた情報がさらにあったのかと思うと、至極残念な気持ちになりますね。