真剣に家系探求

何かの縁で北海道に集まってきた祖先の歴史を少しづつ紐解いていきます。

あらためて小生瀬石井家の謎

家系のインデックス

 

桜田門外の変

水戸藩士であった関鉄之介(1824~62)wikipediaを主謀者とした一味が、井伊直弼大老を暗殺した歴史上の大事件。

事件後にさまざまな地で逃走を続けた関は、事件から2年後に越後湯沢で捕えられて斬首されることとなりましたが、その関が主に潜んでいたのが現在の茨城県久慈郡大子町近辺。

匿っていたのは、大子町の名士である櫻岡家。

その櫻岡家の親類として関の逃亡手助けをしていた中に、石井重衛門という人物がいます。

 

石井重衛門。

私の高祖母の実家である大子町小生瀬の石井家、高祖母の祖父である石井重四郎と、名前がそっくりです。

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そこで、重四郎=重衛門なのではないかという淡い期待を持って、櫻岡家子孫の方に質問をぶつけさせていただきました。


しかしながら、重衛門の周りの人物について調べていただくと、まったく知る名前が出てこず・・・。

祖先である石井重四郎は戸籍で知ることができた最古の名ですが、その子は石井庄衛門(正右エ門とも。1837~1902)。

庄衛門の妻は外大野の齊藤善治エ門の長女・ふゆ(1839~1909)。

庄衛門・ふゆ夫妻の子は、酉次郎、鐡之助、すゐ(私の高祖母)となっています。

 

しかし重衛門はといえば、父は石井源次兵衛義房。さらにその父は石井久治衛門義教。

源次兵衛の妻の弟、飯村平助が櫻岡家に養子に入り、櫻岡源次衛門直方となっており、その縁で重衛門は櫻岡家の親戚(櫻岡源次衛門の甥)となっております。

世代としては、重衛門と庄衛門が同世代であるかと思われます。

そして重衛門の子は兵衛門、忠蔵、権五郎、百太郎。弟に伝重郎(平八郎とも)。
いずれも存じない名・・・


少なくとも、重四郎=重衛門ではないのだろうなというのが結論となりました。

 

また、かつて大子町出身の名字研究家、髙信幸男氏に石井家について質問させていただいたことがありました。

ほどなくして石井家墓地の写真を送っていただいたのですが、その写真では雰囲気しかわからず。

のちに現地を訪れ、あらかじめアポを取っていた石井さんにお会いさせていただきました。
この石井さんは、戸籍を見せていただいたところ、石井庄次兵衛さんという方を祖としているのを確認。また新しい名前が登場!

石井家の墓地を案内していただきましたが、新しい墓石が4基ならんでおり、髙信先生から送っていただいた写真とは違う雰囲気。

 

すると石井さんから、「昔からウチが面倒見てる益子っていう庄屋の墓もあるんだけど、見てみるか?」との言葉。
せっかくなので案内していただくと、そこには髙信先生から送っていただいた写真と同じ光景が!!

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でも益子(ますこ)さん・・・?

よくよく見てみると、「益子庄右エ門」という名が刻まれた石もあります。

ウチの石井家は、もともと益子で、石井に名前を変えた・・・?

いまは東京に拠点を移しているという益子家。

世話は石井家が担っており、年に一度は墓参りに訪れているとか。

いったい石井庄衛門と、どのような関係があるのだろう????

 

我が家の祖先たちは謎ばかり遺して、何も解決させてくれません。ご無体ですよ~(+o+)

 

▼判る限りのごちゃごちゃな石井家系図

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